暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

タスクであり、友達であり


この時間の使い方は正しいのかな、

頑張り方が間違ってるんじゃないのかなと

不安になるほど、

目の前の作業に邁進してしまう。

(まいしん、読めるけど書けない漢字)

床を拭いたり、キャベツを刻んだりしている間は、気持ちの重みがスッと遠のく。

それは、一時的に腹痛が和らぐのと似ていて、とてもホッとする。


少し前にいさかいみたいなのが起きたときも、

洗濯物をたたんでいると

気持ちの荒れが治っていった。


家事ってなんなんだろう。

いつもそばにいて態度の変わらない友達みたいだ。


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このマグカップの反対側の面には、

かわいいクマの顔がある。

それを知ってるので、この無地の背面を見ただけでほっこりする。


好きなものは、後ろ姿だけで特別だ。


虫になること


本の虫になりやすい。

漫画や小説など、読みたいものを手にすると

人と一緒でもなかなか我慢できない。


小学生のとき友達の家に遊びに行ったら、

ドラえもんの漫画が1巻からずらりと揃っていた。

友達をほっぽり出して読んで、よく文句を言われた。


高校生のとき、電車通学だった。

乗り継ぎのターミナル駅はショッピング施設が充実していて、本屋さんもあった。

同じ高校に進学した地元の友達が2人いて、

テスト期間が終わるとよくその駅周辺で3人で遊んでいた。

私が読んでいる少女漫画の新刊が出たので、

それを買うのに付き合ってもらい、

そのあとプリクラを撮りに行った。


3台しかないプリクラ機は混んでいて、

私たちは順番待ちをしていた。

その間、おもむろに漫画の包みを開け、読み始める私。


帰りの電車の中で、

「一人だけ漫画読んでたし」

と文句を言われて、

あー、やっぱ言われちゃったなぁダメだよな

とは思った。

(2人きりじゃないし、いいかなと強引に思ってしまったのだ)




基本的には、自分と友達のしたいことが異なれば譲る。

よく喋るというよりは聞き役だ。

集団の中では隅っこで静かにしている方である。


それが、本を手にすると図々しくなる。

誰と一緒でも、というわけではなくて

この人なら許してくれる、と選んでいるんだと思うけど

人と一緒にいながら、まぁ失礼なことである。

(実際問題文句を言われているじゃないか)



本読みなのは良いこと、と思ってるのではなくて

感覚としては、

つい爪を噛んじゃうとか

そういう、あーダメなんだけどな

と思いながらついだらしなくやってしまうこと

という感じだ。


また最近はKindleを手に入れて、

台所に持ち込んだら案の定料理が滞った。



本は面白い。なんであんなに面白いんだろう。

心の片隅で焦りながら読むのはもったいないな、

と常に思っている。


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せっかく読むなら、時間を確保して、

何も気にせず虫になりたい。





*********


「本の虫」は、考えてみれば、本を前に無視される他人の存在があってこその表現なのかもしれない。じゃあ、本を読んでて周りに目が行かなくなることって、まぁ古くからあったのかしら、ということも思う。

それが良い悪いは横に置いておいて。


台所の仕事


手を抜くのが難しい。


お夕飯、何か一品作らないとすると

できあいのお惣菜を買って帰ることになる。

○作業が減るので楽

○時間ができる

○が、食費がかさむ

○食費がかさむのがストレス

○食費が気になって買い渋り、

  結果、品数が少なくなる

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○買ってきた惣菜をパックから出してお皿に盛るかどうか悩む

(お皿洗わなきゃいけないし…でも作らないで済んだぶんそれくらいはのむか…でもせっかく楽するために買ったのに旨みが減るな…)


食費が高くなるのは当たり前で、

そのぶんで「楽(らく)」を買っているということなのでしょうが

なかなか慣れないというか、自分を納得させられずにいる。


ただひとつ思うのは、

春巻きやたこ焼きなど、

平日、仕事帰りの夜にまず作らないもの、

自分の家じゃ作れないもの

は、進んで買えるラインナップです。


買って帰る意味がある!

と思える。

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料理は、疲れる。

でも自分自身の満足と深く結びついている。

だからしてしまう。

してしまって、知らないうちに疲れて、

心の余裕をなくしたりする。

これはそばにいる人にとって迷惑である。


何かしら突破口が必要だ。




厳密には、料理が好きというより

バランスのいい献立を自分の手でしつらえるのが好きです。


突破口、と思いながらも

次第に自分のスペックが追いついて

そのうち同じことを楽にできるようになるんじゃないかな

と甘いことを期待する自分がいる。

休みの日、昼下がり


祝日ながら、臨時の仕事があって終日出かけていた。

朝から暑かった。

最高気温が昨日より10℃以上高いと予報が出ていたから、薄着めで出たけど、職場に着く前に軽く汗をかいた。


(私は天気予報において、この対前日比で何度高い・低いを見て着るものを決めている。

みんなはどうしてるんだろう。

「わ、昨日と比べて10℃高いってさ!」と騒いでるのを、そういえば自分以外に見たことない)



昨日一昨日は連休らしく家でのんびりした。

休みの日のお昼ご飯は、二人で外に食べに行くことも多いけど、今週末は家にいて焼きそばなどを作った。

焼きそばくらいだと30分くらいでできるし、出費を抑えられるし、気分がいいです。

(その反動で、スーパーでプリンを買ってしまったけど、それでもプラマイプラスにはならない。すばらしい。)


お昼ご飯を食べながら、野球中継を観た。


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ヒットが出たりして試合が動いたとき、観客の声が太い、一つの大きな声になってウォォオと聞こえるけど、私自身は野球観戦の際、一度も「ウォォオ」と言ったことがない。

わぁー、きゃー、やったぁ

いろんな発声が一度に聞こえると、あぁいう一本の声にまとまるんですね。


何ヶ月か前にふと思ったことをようやく書けてよかった。

ある一日と読書


会社ではとても眠かった。


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こういう日が多いけど、このままでいいとは思っていない。

1時間早く寝ると全然違う。早めに寝ることを習慣にしたい。


朝のニュースでは、きょうは午後から雨が降るかもしれない、という予報だった。

ところによっては強く打ちつけるような雨、と気象予報士の人が言っていたので、折りたたみではなく普通の雨傘を持ち、レインブーツを履いて出勤した。


仕事を終えて夕方、さぁどうかな、と外に出てみたら、降っていない。

水溜りができていたから、一度降ったのだろうけど今は止んでいる。

駅まで歩いたけど、降らない。

降らないのかと思いながら電車に乗る。

最寄り駅に着き、家まで歩く。

途中パラパラっと降られるも、傘をさすには至らなかった。

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せっかくばっちりな格好で出てきたから、雨が降らないことが残念だった。

私は雨がそんなに嫌じゃない。

荷物が多くなければ。またレインブーツを履いていれば。あと寒くなければ。(条件多い)



家に帰る。

この日は旦那さんが仕事で帰らないので、ご飯は適当にする。

料理は好きで、向いている方だと思う。

だけど、毎日バリバリやると疲れる。

料理自体にストレスはないけど、やっぱり疲れる。

それを学んだので、意識的にやらない日を作ることにしている。


買ったばかりのKindleで、初めて本を買ってみた。

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電子書籍は、抵抗がないわけではないけど、前よりも慣れた。

場所を取るから…と買い渋るくらいなら、電子書籍で買えばいいと思うようになった。

(ときどきは本屋で本を買いたいと思っている。紙の本が良い、ことに加えて本屋がなくなったら嫌だから)


Kindleで買った小説は一気読みした。

あぁこのままじゃ遅くなる、と焦りを覚えながらも、読み終えるまで時計を見る気も起きないくらい、続きが気になって気になって、どんどん平らげるように読んでしまった。

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(イメージです。実際読んでたのは紙の本じゃなくKindleです。ややこしい絵を描いてしまった)


読み終わっておそるおそる時計を見たら、もう日付が変わる頃だった。

また寝るのが遅くなってしまった。




(ここからは本の感想)

少し前から同じ人の書いたミステリーを読んでるけど、面白くて引き込まれるのはもちろん、読み終わって、あぁ好きだなぁと思う小説が多い。

一つにはキャラクターが魅力的であること。

また、ほどよくコミカルであること。

そして話全体に熱と勢いがあり、作者が小説を推敲している図が思い浮かんでこないこと。

(伏線が多く、時系列が前後するミステリー、サスペンスは、話全体が精巧にできている印象を受けることがあり、それが作り手の存在を感じさせているな、と別の作家で思ったことがある)


登場人物がたくさんで、あれ、この人は誰だったか、と思うことはあるけど、それすら、自分も小説の中に飛び込んだ気持ちで、これだけいろんな人が出てきたら自然なことだよなと思えてしまった。


たくさん作品があるから、しばらく楽しめそうで、それを思うだけで嬉しい。

紙に書く


籍を入れて、名字が変わりました。

自分の下の名前と並べて書いて、眺めたときの不思議な感じ。(これはやっぱり今だけなんだろか)



これに伴って、銀行などの名義からなにから、あらゆる機関に変更申請を出します。

これが案外大変だった。

何か一つ書類を出したら、ハイこれで一つ終了、ではなくて、その書類が正しく処理・反映されるまで時間がかかる。

書類は次々出しているのに、タスクをぽんぽんこなしている感覚が得られない。

これはなかなか焦れました。


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そこで、一つの手続きにつきチェック欄を3つ作ってみた。

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一つ目は、書類を入手したら。

二つ目は、ポストに投函したら。

三つ目は、変更が反映されてることが分かったら。


三段階でチェック✔︎を入れることにした。

そうすると、こまめに「任務完了感」が得られてとてもよかったです。

どこまで進んでるか、一目でわかるし。


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らくがきもできるし。





仕事でも、やることは紙に書きます。

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書き出すと、やることの多さにゲンナリすることもあるけど、整理されるし、頭に入る気がする。





パソコンやスマートフォン上の方が、あとから行と行の間に新しい一文を入れられたりして便利な面があるけど、筆記具で書くほうが好きです。


ペンを握り、紙の上に圧力をかけ、紙と机の反発を感じながら、文字を落としていく。

これが心地いい。

だから、何かをメモしているだけで、なんとなくずっと楽しさが付いてきます。


キーを打つ、画面をタップする

という行為よりも、

書く

という行為のほうが、長いお付き合い。 


「キーを打つ、画面をタップする」は

ナイフとフォークでステーキを食べるようなもので

「書く」はもう、歩くことと同じ。

(お箸じゃないんかい)


なんというか、遺伝子レベルで、体に無理のない動作になってるような感じがします。


喜びを感じるのは、現代生活のなかで、「書く」「描く」という古く馴染んだ行為に、体がホッとしているのかもしれない。




でも、このご時世。

いち早く、パソコンやらスマートフォンやら、デジタルの道具に浸かり、馴染んだほうが勝ちというか、ストレス少なく暮らせる社会になっていくんだろうな。


だからって、急いで飛び込む気にはなかなかなれない。

絵を描く、とか字を書く、が趣味の世界に囲われた非日常の行為になるのは悲しい。



そういえば、昔、受験勉強のときも、やたら何でも紙に書いて覚えていた。

英単語も、四字熟語も、歴史の用語も。

白い紙が、隅々まで文字で埋まって、今思うとちょっと狂気じみていたな。


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里帰り


きゅうり。

父が借りている畑でこの夏初めてとれた一本です。

特別な気がして、なかなか切れなかった。
いろんな方向からながめたり写真を撮り、
あとで絵に描こうと思い至って、
それでやっと包丁を入れ、浅漬けにしました。

こんなにきゅうりをしげしげと眺めたのは初めてでした。


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今年の夏の帰省。
新幹線のチケットを持って、スマホ、お財布、充電器、着替えときちんとかばんに詰めて、よっしゃ完璧、だったけど、
実家に着いて、トイレに入って、鏡を見て気付きました。
きょう、まゆげ、描くの忘れてた。

うわぁ。友達にも会ったのにな。