暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

弱って思うこといろいろ


重めの風邪をひいた。ピークは過ぎたけど、いまも微熱があり、喉が痛く、鼻もズビズビいっている。

毎日7時間の睡眠を心がけて、朝昼晩きちんと食べて、みかんも昼と夜に一つずつは食べていたのにな。

まあ疲れは知らずに溜まるし、どうしても無理はするときはするし、隙を作らないのは難しい。ここ何年も本格的な風邪にかかってこなかったのは、たまたまだったのかなぁ。

今日から台所仕事はぼちぼち再開した。早々に食欲は復活していたけど、欲するままに食べるのは弱った消化器官に良くなさそうなので、りんごやヨーグルト、お粥やおうどんを恐る恐る食べていた。

こうした判断を朦朧とした頭で行い、またそれを自分で用意しないといけないところがしんどいなぁと思った。

いい歳をして、という感じだけど、弱って臥せっていると、子供の頃だとすりりんごとか、アイスとか、母が様子を見ていろいろ出してくれたなぁと思い出す。

ちなみに夫婦ふたりで同様に体調を崩してしまったので、旦那さんに看病は求められなかった。

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*この絵たちは、体調を崩す前に描いた。みかんはできれば箱買いがいい。残り何個、て気にしないで、食卓にも台所にも常に2,3個転がしておいて、気が向いたときにいつでも食べれるのがいい。


あな嬉し


仕事で頼まれたものをその人のところへ送ったら、丁重なお礼のメールが来た。

たいてい「お願いします」「わかりました、送ります」「ありがとう」のやりとりで終わるところが、「きょう届きました、どうもありがとう」とわざわざ送ってきてくれた。なにやら向こうの都合で、とても良いタイミングに着いたらしかった。

感謝されるのはそれはそれは嬉しいものだ、と思い出した。それだけで疲れが飛んで、元気が出るようだった。また、喜びが心の中に染み渡る速さにティッシュが水を吸う様子を連想し、気持ちが荒んでるのかな、とも思った。

肯定や感謝の言葉をかけられなくても平気でいたいけど、こうしてたまに人から褒められたときに素直に嬉しくなるのは、しょうがないな。


今週はずっと青空文庫で小説を読みながら通勤していた。繊細ながら力強く、美しい日本語に浸っていたせいか、久しぶりに打った自分の文章が拙く思えてしかたない。

言葉は有限というけど、思えば巧みな人は巧みに書くし、当たり前ながら、技術の余地が大きいんだなぁと思った。


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お腹におつかれさま


年末年始はいつものことながらよく食べた。料理仕事から解放され、各所でもてなしを受け、とくに実家では羽を伸ばしてエネルギーを蓄えた。ただそれに並行して胃腸を酷使した。いつもと違う時間に普段食べないものを普段以上の量食べ、夜更かしをすれば翌日がゆっくり始まり、三食が二食になったりした。おまけに食間、食後といろんなお菓子を食べていた。(年末年始は、なんで一つの家にあんなにいろんなお菓子が集うんだろう。あったら食べてしまう。)

こうして書いてみると、だいぶ無茶をしたと思う。冬の長期休暇、気持ちの上ではのびのびとして過ごしているけど、胃腸にとっては一年の正念場かもしれない。

結果、年始は消化能力が弱っている。トイレにこもるようなことはないにせよ、胃と腸が疲れ気味である。ちょっと脂っこいもの、ジャンクなものに手を出すと具合が悪くなる。

今年は仕事始めの月曜日に腹痛に悩まされただけだったのでよかった。火曜日からは休みで蓄えた元気が効いてきて、久しぶりの5連勤を軽やかに乗り切った。


変則的な食生活が内臓に堪え始めたのはここ数年である。

もともと食べるのは大好きで、多少の無理はへっちゃらだった。(というか、無理とも思っていなかった)

年齢的なものと思っているけど、何か悪い病気の兆候なのでは、と腹痛の最中にふっと不安になったりもする。


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実家に帰ったとき食卓で描いたもの。ランチョンマットの上、料理本と、手土産のお菓子の箱。東京駅のホームで、新幹線乗車前の短い時間で選んだけど当たりだった。また買いたい。


新幹線で思い出す


地元への帰省はいつも東京から新幹線に乗る。飛行機の方がずっと早く着くけど、発着する空港がへき地にあって不便に感じるのと、新幹線に乗っているのんびりした時間が好きだからだ。

一度、降りる駅で降り損ねて、次の駅まで行ってしまったことがある。両親が迎えに来てくれていた時だったので、すぐに連絡をして、一駅戻る間、30分ほどだったと思うけど、待っていてもらった。隣駅がそんな短時間で戻れる間隔で本当に良かった。

乗り過ごしたいきさつとして語るべきことはなくて、純粋な勘違いである。なぜか頑なに、自分が降りるべき駅はもう一つ先と思い込んでいた。本を読んでいたのでもなく居眠りでもない。もう10年来行き来して乗り慣れた新幹線で、自分でもまさかという感じだった。

こういう、思い込んだら視野が狭くなり突き進むところがある。もう身体の一部みたいなもので矯正は難しい。それを自覚して対処のしかたを自分で考えていけるのが救いで、必要なことだと思う。(子供だった時代は、自分が転ぶ理由がわからないのが辛かったんだなぁ、と思う。)


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最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。


おせち料理の話・ご挨拶


きのうは年末から年明けまでの食材をスーパーでまとめ買いした。

元旦はお雑煮だけをやる予定で、あと黒豆など出来合いのものを少し買おうかな、という気でいたけど、思っていたより高くて尻込みした。スーパー、いつもお手頃なのに、季節のものはやっぱり同じようにはいかないなぁ。(結局600円くらいのかまぼこだけカゴに入れた)

野菜売り場ではいつも見かけない三つ葉が並べられていたりして、「そうか、三つ葉をお雑煮に浮かべたりするんだよね。いい風味するだろうなぁ」と手に取りそうになったけど、年が明けたら両実家への挨拶など外出が続き、余っても消費できない、もったいないと踏みとどまった。

季節のことは、ちゃんとやりたいけど、お正月は難しいなぁと思う。とにかく余ってしまう。豆やら煮物やらたくさん炊いて、お客さんが来るでもなく、旦那さんと二人。おせち料理は何日もかけて食べたら良いものだけど、少しずつしかなくならない。メインディッシュとしてドーンと一度にたくさん出せるならいいけど、小皿料理的なものばかり。昨年は何品か、傷んでダメにしてしまった。

小さな世帯向けのおせち料理キット、材料を少量ずつセットして売られてるようなものがあったらいいな。それなりに品質や産地がちゃんとしている食材の詰め合わせだったら、多少高くても買うなぁ。で、それぞれの分量に合ったレシピもついてると嬉しいな。(どんどん注文が増えてゆく)

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今年も一年ありがとうございました。このブログのおかげでお絵描きが続けられて、また読者登録させてもらっているブログを読んで、気づきや元気をもらっていました。

また来年も変わらずお会いできたら嬉しいです。

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これは平常運転


今日は、昨年から読んでいた漫画の最終巻をKindleで購入した。ラストが切なく、思わずホロリとし、そしたら止まらなくなって、しばらくシクシク泣いていた。

ほのぼのとした優しい漫画で、なんとなく話の閉じ方も見当がついていた。それでも涙を誘われたのは確かだけど、そんなに、何度も鼻をかむほど泣いたのは、別の理由だった。日々の納得いかないこと、思うように評価されないことなど、逐一向き合えずに心の中で取り急ぎ押入れに放り込んでいることが溢れてきた。

生活の中に改善すべき病理があるというよりは、ただ自分が子供っぽくいちいち小さなことで傷ついているせいだと思う。

恥ずかしいけど、ときどきこうなる。こうでないと解放できないものがある。側から見たら心配な光景だけど、泣いている間、気持ちは少し爽快だった。悪いものを飛ばした感じで、あとはケロリとしていた。


子供のころ、焼き魚の赤身が苦手だった。例えばぶりの照り焼きの、皮の際の赤い部分は皮ごと残し、白身だけ甘辛いたれに浸して食べていた。

神経質に赤身を白身からこそげとる様子を、父は呆れながら眺めて、「大人になったらそんなのは面倒だから、きっと一緒に食べてしまうようになるわ」と笑っていた。

はたして、近頃は必ず赤身をこそげとるということはしなくなった。面倒ということ以上に、白身と赤身の味の違いを以前ほど感じなくなってきたのである。

こんなふうに、ちよっとしたことは構わずまるっと飲み込めるようになりたい。

でも鈍感になりたいのではない。落ち込んでも、開き直ったり立ち直ったりする技術があればいい。

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この落描き中、食卓に何を並べようか考えていて、ピカチュウはケチャップが好物らしいと知った。(「サトシのピカチュウ」だけかもしれない)ネットで検索したら、ピカチュウがケチャップを抱えて歩いているアニメ画像が出てきて、それは可愛かった。


ガーリックトーストの失敗について(追記)

前のブログで、ガーリックトーストの出来がいまいちだったのを、なんだかイングリッシュマフィンのせいであるような書き方をしてしまった。

実際の原因は、すりおろしたニンニクの量が多すぎたことにある。

昨年旦那さんが喜んで食べてくれたのを覚えていて、張り切って沢山ニンニクをすりおろしてしまった。また、バターが今ひとつ溶けきらず、混ぜた時にムラができたせいでもある。(すりおろしニンニクと溶かしバターを混ぜて、パンに塗って焼くレシピを使った)

なんか「イングリッシュマフィンが使えん」みたいに響いてたら嫌だなと思って書きました。

実際の食べた感触としては、青臭く、むせ返るほどのニンニクがグワっと来て、間をおいてイングリッシュマフィンそのもののおいしさがやって来る感じだった。(「わたしもいるんやで〜」って感じで)

まあ合う合わないで言ったら、やっぱりバケットの方が適役という印象。マフィンはそれ自体の味が素朴ながらしっかりしてるから、粒子の細かなニンニクとケンカしていたように思う。

でももしかしたら、ニンニクを擦りおろさずにスライスして、挟むかのせるかしたらよかったのかもしれないしな。わからないな。


こういう「かもしれない」がときどき台所で発生するけど、突き詰めることはなく流れていく。料理研究家はこういう部分を追究するんだろうな。材料をたくさん用意して、分量や順序などを変えてみて。

それで生まれた最善のパターンを、私はレシピサイトや料理本を通じて日々拝借しているんだな。

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(中程のページはすぐ閉じてしまうので、調味料の配合をある程度頭に入れてからとりかかる。でも不安になって結局また開く)