暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

上手にお付き合い


年齢的なものかわからないけど、体調にちょっとした変化があった。少し考えて、甘いものを控えてみようと思った。

考えてみたら、お菓子を食べない日がない。平日は昼間、夜と大抵何かしらつまんでいる。少なくとも空きっ腹に入れるのはやめよう。そう思ったこともあったけど(糖分をもろに吸収してしまう気がして)、気がつけば晩御飯を作りながら口に何か入れている。

毎日食べるのは控えて、週末だけとか、メリハリをつけたい。でもピシッとしたルールを作るとプレッシャーになるので、とりあえずなんとなく、例えばコンビニで買おうか迷ったときにやめられるようならやめる、食べるにしても一個だけにする、とか。そういう感じでいきたい。

甘いものをセーブする、そう決めたら、何か代わりのものを、そう思ってkindleで本を購入した。よく読む作家の新作が出ていたのを見つけ、迷わずタップしていた。

たぶん、甘いものじゃなくていいのだ。たまにファーストフード店でハンバーガーを食べるのでも同じ部分が満たされるのを感じることがある。ささやかな非日常感、贅沢感があれば。だから本でも代替可能なのだ。

(糖質には中毒性があるらしいし、元々甘党だし、体が欲してる部分もあると思うけど)

ここのところは穏やかな気持ちで、規則的な生活を送っている。そんな中でもやっぱり自然と疲れ、ストレスが溜まっていき、それを緩和するためのお菓子、本なんだと思う。

そうやって気をそらすことを0にしようとするのは現実的ではない。行き過ぎないよう気をつけながら、付き合っていったらいい。

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(チョコチップクッキー描いたら食べたくなってきた…)


絵を描きたい、ブログを書きたいとは常に思っている。でも実際にやるのは時間と体力が許すときに限られる。それで普段からイライラすることもない。良い距離で付き合えているということかな。


夢を見るのは癒し


きのうは昼寝をした。30分で起きるつもりで、寝入るまでの時間を込みで35分のタイマーをセットして布団に入ったけど、タイマーを止めて、さらにもう30分寝てしまった。

脈絡のない変な夢を見て、起きたら元気になっていた。

夢を見るのが楽しい。自分の頭の中にあるものが、誰の批評もNGも受けず、なんでも、好きな順序で出てきて野放し。それが心にとって、なんだかとても良い感じがする。

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(とくに昼寝は睡眠が浅いのか、たくさん夢を見る)


おかげできょうは一日元気だった。必要なところにだけ注意を注ぎ、いつもより明るく仕事ができた。

疲れているときは、疲れているくせに、些細なことばかりに注意がいき、要らない心配、不安を抱えてしまう。一人で落ち込んだりヒネくれたりする。

あれはなんでだろうなぁ。クタクタになると全体が見渡せなくなり、主幹が捉えられず、やたら枝葉末節にばかり目がいく。

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ストッキング・梅の花


ここ何日か、立て続けにストッキングのつま先に穴が空いた。

冬は職場での服装はスカートよりパンツ(下着じゃなくてズボンの意)が多くて、ふくらはぎの伝染にビクビクすることはない。ストッキングの指先に穴が空いたところで靴の中の話だから人目は気にならないけど、「あぁまたストッキングが減ってゆく…」と焦る。きのうはお店に寄って二足入りのストッキングを買った。一安心。

ここ何年か、ストッキングを長持ちさせようとして、大きめのサイズを選ぶ、つま先を少し余らして履くなどの工夫をして、一昔前に比べたら買い足す頻度を抑えられていた。それが、申し合わせたようにみんな一斉に穴が空き始めたのだった。不思議な気がしたけど、たぶん同時期に買ったもののガタがきたんだろうな。

たまーにスカートで出勤するときは、今だと厚めの黒いタイツを合わせる。で、その下には密かにストッキングを重ね履きしている。一枚多いだけで結構あったかいので、欠かせない。

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(夜にお風呂場で脱ぐとき、ストッキングとタイツの間で静電気が起きるのは面倒だけど…)


通勤の電車の窓から、あれは梅かな?と思う花が咲いているのが見える。遠目でよく分からないけど、あまり背の高くない木で、濃いピンクの花を、伸ばした枝の先々につけている。

一ヶ月前にはなかった気がする。この時期だからたぶん梅だと思う。春が近いんだなぁと、見かけるたびにほっこりしている。

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傘のこと


きのうは傘を持って家を出た。朝バタバタと支度をしているとき、テレビから「西日本を中心に広い範囲で雨、関東でも午後から降り出すでしょう」と聞こえてきて、え、きょうは雨かいな、と振り返ると画面には、日本地図の上に雨雲が大きく広がっている図が映され、「きょうは全国的に雨」という印象をもった。なので折りたたみでなく大きな傘にしたんだけど、家を出て歩きながら見回せば、みんなほとんど傘を持っていない。

えぇ〜。きょうは雨って言ってたのに、みんなどうしたん?大きな傘を提げている自分が、大げさな感じがして恥ずかしい。最寄り駅に着いてから一人、また一人、と傘を持っている人を見つけ、ホッとしながら会社に向かった。(たぶん全体で、傘を持った人は1/4にも満たなかったと思う)

まぁ、家出るときに降ってなければ折りたたみ、なのかなぁ。私も「降るかどうかわからない、降っても小雨程度か」というときは折りたたみにする。降らなかったら大きな傘は荷物でしかない。

ただ、折りたたみは、その都度畳まないといけないのが手間なのだ。

折りたたみ傘をたたむのは苦ではないけど(本来の折りジワを見つけながら、余計なシワのつかぬよう、丁寧にたたむのがちょっと楽しい)、それを改札前で人の波を妨げないようにパパパッとやらなきゃいけないのがいつもストレスだ。立ち止まって人の邪魔にならないように柱の陰なんかでやることもあるけど、濡れてるし、この後電車乗って着いて駅を出たらまた使うかもしれないしで、そんなに丁寧にやる気にならない。(几帳面なのかズボラなのか)


傘といえば、小学一年生のとき、雨の日に下校しようとしたら、朝持ってきたはずの自分の傘が傘立てに無くて、しばらくそこでウロウロしていたら先生が通りかかって、結局担任の先生に車で送ってもらったということがあった。

真相は、同じ傘を持った子がクラスにいて、間違って私の傘を持ってっちゃったということだった。たぶん同じ柄の傘が傘立てに残っていたけど、自分のじゃないから使うわけにもいかず、かといって職員室に行って助けを求めることも思いつかなくて、ただ途方にくれて、心細い思いでそこにいたのだった。


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(大きい傘を持って出たからには、降ってほしいと思ってしまう。土砂降りとかじゃなくても、パラパラ程度でも。)


チョコ祭り


バレンタインデー。会社では何人かからチョコをもらった。とりあえず一通り開けて、一つずつつまんだ。いま、食卓のテーブルの上に小さな可愛らしい箱がいくつか置いてある。

ちょくちょく台所から振り返って、その光景にホッコリする。一度にたくさんは入らなくなったけど、やっぱり甘いものは好きだ。

一昨日行ったデパートのお菓子売り場では、圧倒的にチョコレートが幅を利かせていた。

焼き菓子もおせんべいも頑張っていたけど、チョコや、チョコレートをあしらったお菓子に人の波は動いていた。

バレンタイン直前、こんなギリギリに買いに行く人いるかな、みんな大体連休中に買い物しただろうなぁとデパートへ足を向けたけど、さすが都心、ものすごい混雑だった。満員電車のような人出に「おうおうおう、すげえなこりゃ」という初老の男性の声が頭上で響き、みんな同じ気持ちでございます、と心の中で相づちをうった。

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こういうチョコは、どれから食べようか迷う。これはミルクチョコ、これはキャラメルの味がする、とか違いはわかるけど、結局どれもおいしい。


昨日の話ふたつ


昨日の晩はご飯を作りながら、お腹が空いてしょうがなかった。だめだ、出来上がるまで待てない、そう思って戸棚を開けてお菓子を取り出したけど、おせんべいやらクッキーやらを前にして「違う、今はこれじゃない」と感じ、元の場所にしまった。

そうこうするうち、炊きあがって保温になっているご飯に目がいった。あ、ごはんがいい!

全体を混ぜて気持ち蒸らしてから、しゃもじでちょこっと、手のひらにとり、あちあち、となりながら頬張った。あー。これだ。おいしい。二口めは余っていた味海苔を巻いて口に入れた。これも最高だった。

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(思いつきで行儀悪くつまみ食いしたから、また一段とおいしかったという気がする。)


*話が変わります。

きのうは久しぶりに大学時代住んだ町へ行った。駅を出たところのコンビニや、道なりに行くと左手に見えてくる小さな団地がそのままで、懐かしくなった。

その、懐かしいと思えたことにホッとした。通った高校の最寄駅界隈は、3年間行き来したというのに、大人になってからホームへ降り立ってもなんの感慨も湧いてこないのである。どちらかというと感動しいで、センチメンタルにひたるハードルは低いほうなのに。

なんとなく思うのは、大学時代のほうが、情けない、恥ずかしい経験をしたり、楽しいことも悲しいこともあり、気持ちの上でデコボコとした日々だった。そういう青臭い時期と毎日の景色は知らず知らずのうちにしっかり結ばり合い、心の奥の風景のひとつになっていくのかもしれないなぁ。

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校則のこと


高校時代、校則がとても厳しかったという人の話を聞いた。髪を染めたりスカートを短くするのはもちろんのこと、お化粧もだめ、眉毛をいじるだけでも注意を受けたということだった。

お化粧くらい許してくれてもいいのにねぇ、とそのときは本音で相槌を打った。

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ただそれから何日か経って、ふと、この「厳しい校則」は、わりとよく考えられたものなんじゃないかと思えた。

校則というのは、勉学に励むべき学生の、清潔で健全なイメージに照らしてオーケーかアウトかを判断するような、表面的なものではない。「おしゃれや遊びよりももっと別のことに時間を投じてほしい」というメッセージがそこにあるんじゃないかと思ったのだ。

私は日々時間に追われている。通勤の電車の中でメールの返事を打とうとか、今夜はご飯の後に何でもいいから絵を描きたい、とか、30分や1時間単位の空き時間の使い方をいつも考えている。

それなのに、しばしばスマホでネットサーフィン(なんかこの言葉もう古い感じがするなぁ)にふけってしまい、自ら貴重な時間を潰してしまう。そうやって大した思い入れもない事に投じた時間を1カ月とかで掛け算すると、かなりの時間になる。

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話を学生さんのことに戻したい。お化粧を例に取れば、朝も晩もそれなりの時間がかかる。化粧品選びも楽しいし、のめり込めば研究の尽きない世界だと思う。

学生はほかのことに興味を持たないのがいい、とまでは言わない。大人になる前に誰でも、ちょっとした遊び、脱線、綱渡りをしなければいけないとも思う。

ただ勉強も部活も、その時その立場でしか時間をかけられないことである。また、体の成長にとって大切な時期に充分な睡眠をとるのも、あとから補てんの効かないことだ。

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大人になっても時間の使い方は難しい。(自分がだらしないだけかな…という考えがよぎるけど、話が進まないので言い切ることにする)学生のうちは、そうしたルールでうまく縛って、かけがえのない時間の使い方をさせてやろうというのが校則なのかもしれない。

こう言われても、学生はそう簡単に説得されないと思う。だけど、押し付けがましくても、ルールという形で大人の保護の目、思いやりを常に注がれていることは、意識の上では歓迎されずとも、若者とっては大切なことのように思える。


私が通った高校は校則が緩かった。けれど私は髪を染めず、耳に穴をあけず、スカートの裾をつめることもしなかった。化粧もせず、なんなら夏に日焼け止めを塗るのすら忘れがちだった。

結局3年間、地味な格好で通した。興味のない体を装いながらも「自分もかわいい格好をしてみたい」と心の隅では少し憧れていた。ただ、とにかく自分に自信がなく、何をするにも気後れがして、自分の殻から出られなかった。言い方を変えると、まだ殻から出る時期を迎えていなかった。

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けれど、みんなが思い思いの格好をしている環境は好きだった。どんな風でもいい、というのは心地よかった。


最後の最後に、書いてきたことを自分でひっくり返してしまった気がするけど…。

校則は良い悪いを論じるのが難しいなぁと思った。まず何を、誰の満足をゴールにするかで意見は様々だろうし、またそれを課される若者の状態が一様ではない。

この日記では、これまでどちらかというと若者目線で「うっとうしいなぁ」という印象でしかなかった校則に対して、新しく芽生えた視点をまとめられたと思って終わることにする。