二人暮らし*会社のこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや動物のスケッチを描いています。

内と外


朝からざあざあ降り。家の中はムシムシ。窓を少し開けてみるも、雨が風を遮るのか、涼しくならない。エアコンの除湿をつけて、掃除をした。


親しい人といる時、こちらの言うことやることで笑いが起きるのが楽しい。

そばにいる家族や友達は、こちらの存在を面白く仕立てる名人だなぁと思う。頭の回転が早く、よく人のことを観察している。

私の話における言葉不足とシチュエーションに生じるズレ、それを素早く取り上げ、冷めないうちに可笑しさの額に嵌めてしまう。それが面白くて、嬉しくて笑う。(笑顔になるとかじゃなくてもう大笑い)

会社では誰ともそういう間柄を構築できていないのが少しさみしい。

何年も勤めているのに信じられないけど、職場はまだガチガチによそ行きの場所なのだ。失敗を恐れる頭が先に立ち、縮こまってしまうことが多い。

積極的に口を開かない、かといって、静かに控えていていざという時にさりげなく気がきくわけでもない。(小説や漫画の読みすぎかもしれないけど、その場その場での己のポジションて誰しも探すんじゃないかと思う)

強く求められもしない、でもはっきり咎められることもない、ふわふわした居心地で、楽に思うこともあれば、しばしば落ち着かない。もう何年もそんなだ。

まぁたぶん、多くの人が内と外で違う顔を持ってるんだろうな。割とみんな、家に帰ったら外面(そとづら)を脱いで、急にひょうきんになったりしてるのかもしれないな。


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グリーンピース。鞘から豆を取り出すのが楽しかった。


気が向いたらやります


きょうは仕事中に眠気がやって来ないで、楽に過ごせた。

また、やることはたくさんあったけど、大急ぎを求められるものはなくて、「どれからやろうかなぁ〜。よし、これにするか」という感じでやれたのも良かった。

会社勤めというのは、決まった時間拘束されることや、ずっと同じ場所で外向きの顔でいなければいけないことに加えて、〔仕事の順序を選択できない〕ということも人を消耗させるのだな、と気がついた。たいてい優先順位というものがあり、追い立てられるようにしてパソコンに張り付いている。タスクを背負うのは当たり前だけど、その背中のカゴから、次にどれを取り出すかくらい、つねに自分で決められたらいいのにな。


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(はぁ、ちょっと、休憩)


今月の目標は「疲れない」。できるだけ早く寝る、台所仕事でハッスルしすぎないようにする、用事がなくても有休を取る。

宣言すると気が済んでしまうタチなので月の頭では誰にも言わなかった。いま書いたのはラストスパートをかけるため。意識してゆるく過ごすのは、なかなか難しい。

疲れると、視野が狭くなる。(私はもともと狭いのにもっと狭くなる)

自然に周囲を見渡せなくなったら、疲れてるんだと思う。


時間の伝え方・青梗菜


仕事で、電話がかかってくる。相手の話したい人間が離席中のとき「◯時頃に戻ります」と伝えるんだけど、そこで私はよく「あと30分くらいです」と言ってしまう。まわりにそのような伝え方をしている人はいない。

なんとなく、私自身の体感的に「あと◯分くらいだな」と思ったのをそのまま口にしてしまうのだ。分数(ふんすう)と時刻。たぶん、後者で答えるほうが親切なんだろう。時刻は聞き取ってメモったあとに見返す際、その情報は絶対である。分数だと、「あと30分て、いつから数えてやねん!」となるかもしれない。

ただ、あの、自分を弁護するんじゃないけど、(と言いながらするんだけど)分数で言われれば、「あと30分か〜。じゃあそれまでこの仕事やっちゃえるな」とか、そんな風に、相手も体感的に目先の仕事の予定組みを考えられるんじゃないかな。

まぁでも、分数で伝える人が全然見当たらないということは、たぶん、一般的には時刻で伝えるほうが良いんだろう。

自分の変わったやり方がまわりを出し抜いて効率的であった経験が、まず、ない。

(ちょっと堪えるのは、自分のひねくれた、または愚鈍な部分が自分の仕事を難しくしていることではなくて、それに着目し、突っ込んでくれる人がいないこと。)


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青梗菜。おひたしにしても、お肉と炒めても、使いやすい。



やり方はいろいろです


「あ、これブログに書こう」と思うことが今週たくさん浮かんだけど、ほとんど忘れてしまった。思い浮かんだときはあれだけ強く思ってるのに、不思議だな。

(そもそもストックしておいても、あまり意味がないことが多い。結局そのとき関心の向くことを書いている)


おととい見た夢で、私が両親に対して、何かとてもくだらないことでムキになり、強く主張して、けれど二人とも正面から衝突してこないで、困りながらも、うん、そうだね、そうしよう、と受け入れた。(ヒートアップしている人に、その場でまともに向き合い話し合うことはできない(効率的ではない)ので、とりあえず頷いておく。それはもちろん、いまは冷静になれない相手を信じてのことなのだけど)

その大人の対応に触れ、こちらは自身の間違いを知り、きまりが悪くなり、でも引っ込みがつかず、あーもう、あーなんで、と自己嫌悪していた。夢で良かった。

こういう、ウチの実家の文化ではないんだけど、身近な人がヒートアップしたときに、売られた喧嘩を買う要領で、同じテンションで応酬することは、ときに正しいことなのかもしれない。とことん付き合っていく、あなたを一人にしない、傍観しない、という親密な関係を態度で示すことなのかもしれない。


今週はずっと眠たかった。いろいろちゃっちゃと片付ければ早く布団に入れるのに、睡眠不足が募って疲れていると、それができない。それで一週間、ずるずると。


*本文とは関係ない絵

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あら、お出かけですか。行ってらっしゃい。


服を買いに行った


久しぶりに休みをもらい、服を買いに出かけた。

お店の中をぶらぶらするうちに、お、これは!と見つけた服は3色展開。けれど欲しいと思った明るい黄色だけサイズが無い。うーん。

「この色ならお客様のサイズがあります」と出してきてもらったチャコールのを試着したけど、形が同じでも色が違いすぎて、ストンと来ない。

「この色目なら秋口まで長く着回せます」

「落ち着いてるから逆に明るい色を合わせやすいんですよ」

店員さんの言葉にだんだんと、「ほうほう、たしかに、これはこれで良いのでは?」という気になりかけてきた。

もともと「今日はお休みだ、嬉しい、久しぶりに服を買うんだ」という浮かれた気持ちがあり、それを後押ししてくれる言葉が心地よかったんだと思う。買い物って、商品を手に入れるだけじゃなくて「新しいのを買った!」という高揚感がまず楽しい。たまにそれがモチベーションになっちゃうことがある。

でも今回は「違う、これじゃない…」という初めの違和感を手放すことなく、店員さんの並べるメリットにも耳を傾けた上で、「ちょっと考えます…」と断って一旦売り場を離れることに成功した。

冷静に対処できて、何もまだ買えてないのに、ホクホクとした気持ちになった。

試着に付き合ってもらうほど、買わずにその場を去るのがしんどい、そういう圧力を勝手に感じて、試着したものの中から選ぼうとしてしまうこともある。でも試着は文字通り試着なのだ。

(もっと昔は、自分に合うものを選ぶ照準も今よりぐらぐらしていたし、店員さんの顔色も気になったりして、服を買うという行為がいまより負担だったなぁ。)

たかが服だけど、自分の選択、選択までのステップに自分なりのやり方があると、なんとなくでも信じられるのは、結構大きい。


近年、ふわっとしたラインのズボンが流行っている。なかにはスカートと見まごうような形のキュロット?みたいなやつもある。

下半身の線をぼかしてくれるし、楽そうだし、一つ持っておきたいんだけど、あまり身長がないので、「かぼちゃパンツ」みたいになるのが怖い。自分に合ったサイズが分からず、未だ買えていない。

試着して、ぴったりですよー、と褒めてもらっても、自信が持てなくて、買います、と言えない。(「ちょっと大きいので、もう少しつくりが小さいものを他店でお求めになったほうがいいかもしれないです」とか言ってくれないかな)

世間でどれだけ普及していても、自分にとって新しいものを取り入れるのは一苦労だ。


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関東では梅雨もまだなのに、毎日暑い。雨の予報に、少しこれで日が陰るかな、とホッとする。


パソコンのこと・頭と口が遠い


何年も前から買う買う言っていた、パソコンを購入した。立ち上げもなんとかうまくいき、昨日はパソコンを新調したらやろうと思ってたことをやっと実現できた。(スマホと同期して、曲のリストを整える作業。なんてことはないんだけど、古いパソコンは一つ一つの動作が遅くて、スマホの内容のメンテナンスがままならないのが長年のストレスだった)

あー、すっきり。快適。

散らかったまま、不便なまま過ごせてしまうだらしないタチだけど、それを取り除いたら「やってよかった!」と思う。ほんと、普段から何に関してもその姿勢で臨めればいいのにな。(失敗が怖くて、慎重にことを進める工程のヘビーさに嫌気がさして、ついつい後回しに…というのが言い訳だけど、どうせやるなら早いに越したことはないなぁ、ほんと。)


全然違う話だけど、焦ると正しい言葉が出てこなくなる。家でも会社でも。

口にしたい言葉、表現が、もやがかかったように遠い。落ち着いて手繰り寄せればいいのにそれができず、それ以上の沈黙を阻止しようと、欲しい言葉の周辺の、ただし全く別の言葉を並べてしまう。

それで余計な混乱を招いたり、恥をかいたりする。

誰ひとり、急かしたり迫ったりしてないのにな。自分を自分で、「早く早く、まだかいな」と追い立てている。

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声が小さくて「えっ?」と聞き返されることも多い。それで焦りに拍車がかかる。

気持ち大きめの声で話すと自然とスピードが落ち、ゆっくり言葉を選んで話せる、と最近わかったので、ちょっとずつ意識していきたい。

(思ってるよりも、いろんなことが工夫や努力で好転するのでは、と思うようになった。諦め・受け入れが早いというのは、他ならぬ自分にとって損なことだな。)


日々反省


会社から帰ってきて、すぐお夕飯を作るんだけど、その間に必ずお菓子を食べてしまう。出来上がって「いただきます」するまで何も食べない、というのが本当にできない。

お腹が欲しがってるのはクッキーやおせんべじゃないのにな。

(周期的にこのテーマでブログを書いている気がする)


GWはとても充実していた。

母が東京へ遊びに来てくれて、ふだん行かないところへ遊びに行き、一方で一緒に晩御飯を作ったりと、家の中でゆっくり過ごす時間もとれた。

母と会うといつも思うのが、母のように、小さいことで怒らない人になりたいなぁということ。歳を経れば丸くなる、というのは違うと思う。元々の性格と、意識の持ちようだと思う。

ふだん怒りに満ち満ちたあとに、その原因を胸の中で反芻する。いかに理不尽な扱いを受けたかを改めて眺めようとする。そうすると見つかるのは、しょうもないことばかり。

こんなことで怒っていたら生きていけない。なんでこんな狭小なのか、と毎度悲しくなる。

全然怒らない、しかるべきとところで主張しない、というのも問題だけど。

(これもまた一定の周期で書いてる話だ)


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