暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

スーパーでの話あれこれ


ゴーヤとチーチキンの和え物を作ろうと思って昼間からワクワクしていたけど、帰りに寄ったスーパーではゴーヤが売り切れで、あーあ、そしたら一品はどうしようかな、また明日来るしかないか、とあれこれ思いつつレジに並んでいたら、前の人のカゴに大根が入っているのを見て、あっ、大根でいいじゃん!とひらめいた。大根細切りにして、塩ふって、シーチキンと和えて、ごま油も入れて。水菜があるからそれも入れて。

帰りにもう別の小型スーパーに寄って大根を手に入れた。

ここのところ外食気味だったから、野菜たくさんの献立にしたかったのだ。よかったよかった。

(ひとの買い物カゴの中身がつい気になる。あんまりじろじろ見るのもアレだけど、思いがけない品物の組み合わせに驚いたり、4人…いや5人家族かな。と想像したり)

ところで、買い物カゴの話。スーパーではカートを使わない。レジに並ぶころには買い物カゴが重くて重くて、取っ手が取れちゃうんじゃないかと心配になるくらい。これ絶対カート使った方がいいよなぁと分かってるけど、徒歩で帰る以上、重さを分からず買うのが嫌なのだ。(エコバッグに入らなかったら…入っても持ち歩けない重さだったら…っていうのが不安で)

このところアイス(6本入)を冷凍庫に常備してて、定期的に買うんだけど、レジに時間がかかるとヤキモキする。

あぁもう溶けちゃう…溶けちゃう…早く早く…

アイス買う人用にファストパスみたいなのがあればなぁ。アイスを買う人はこちらのレーンでお会計します!ていう。夏だけでいいから、あればいいな。

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疲れや満足の話


仕事はやっぱり疲れるもので、週に5日間働くことを嫌だなぁ、としばしば思う。

(それが世間的に当たり前のことなんだけど、週に3日勤務で4日は休みがいい…それなら頑張るわ…とか思ってしまう)

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でもそれとは別の次元で、会社で細々した仕事を片付けることを楽しんでいて、「家だと30分なんてすぐに過ぎるのに、会社での30分はなんて有意義に、色んなことをぱっぱとこなせるんだろう」と面白く思ったりする。

また、職場は人間が試される場でもあって、それを負担に感じることも多いけど、ふと「こういうのが人にはいくらか必要だな」とも思う。

疲れる、でもお金を稼がないといけない。仕事自体は苦ではない。苦手なこともしなきゃいけない場面があるけど、お金をもらいながら修行が出来る場とも言える。楽ばっかりできたとしても、次第に「何か生産的なことをしたい、多少自分の心身を削ってでも」という気になってくるんじゃないかな。

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どの側面も〔それなりにそう〕だし、「この場合においてはどう捉えるのが自分にとって良いのかな」と考えるべきなんだろうなぁ。

「これでいいのか」は、どこかにあるような気がする「確実な答え」に拠り所を求める思いから発する問いなんだろうなぁ。

いつもこうやって、ゴニョゴニョしている。


読書のあと


ここ2カ月かけて、洋書の小説を読んでいた。辞書をひきひき、一日数ページずつ、えっちらおっちら、だった。わからない単語だらけだったけど、先が気になるから読んでいけた。

バババババーっと、気持ちの上では貪るように、早く、早く、と、次のページを繰りたかったけど、単語を調べながらなので、そうもいかなくて、じれったかった。

実際に全ての単語をわかる必要はなくて、雰囲気でなんとなく、想像、類推で進んでいける部分が大きい。(ざっくりと〔喜か哀か〕〔良か悪か〕がわかれば良かったり、また、動詞は調べるけど副詞は必ずしも調べなくても行けたりする)

おお、うんうん、たぶんこういう感じなんでしょう、と進んだ先でしっくり来なくなってきて、あ、なんかどっかで間違ったみたい、と遡って読み直したりもした。


で、本題はここから。

後悔しているのは、読み終わった直後に、自分の得た印象、解釈をネット上で答え合わせしてしまったこと。

読了ほやほやの、まだ言葉にできない、その無形のものは、時間の経過とともに醸成されて、頭の中に降りてきたと思う。たぶんそこで改めて気づくこともあった。それがまた面白かっただろうな。

なのにそのほやほやの「感じたもの」を他人の言葉で上書き保存してしまった。

自分なりに感じ取ったものがあったのに、自信が持てなくて、ついスマホに手を伸ばしてしまった。日本語の小説と同じように英語を読むのは難しい。

読み終わってもまだ読書は続いている、と覚えておきたい。(帰るまでが遠足だ、みたいなことが言いたかったけど、うまい言葉が浮かばなかったのでそのまま書きました)

「まだ…まだ読書は終わってない…」

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(別に本に向き合ってジッとしている必要はないけども)



週の後半に入りお天気が荒れてきた。

電車が遅れるからちょっと早め(10分くらい)に家を出ようと思うんだけど、結局いつもと同じ時間になり、会社にはギリギリになる。

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(なんでも早めに、余裕をもってやるほうだったのに、最近は会社に着くのが始業ギリギリ。それが平常運転になってきて、でもそれで平気。人って変わるなぁ。)


内と外


朝からざあざあ降り。家の中はムシムシ。窓を少し開けてみるも、雨が風を遮るのか、涼しくならない。エアコンの除湿をつけて、掃除をした。


親しい人といる時、こちらの言うことやることで笑いが起きるのが楽しい。

そばにいる家族や友達は、こちらの存在を面白く仕立てる名人だなぁと思う。頭の回転が早く、よく人のことを観察している。

私の話における言葉不足とシチュエーションに生じるズレ、それを素早く取り上げ、冷めないうちに可笑しさの額に嵌めてしまう。それが面白くて、嬉しくて笑う。(笑顔になるとかじゃなくてもう大笑い)

会社では誰ともそういう間柄を構築できていないのが少しさみしい。

何年も勤めているのに信じられないけど、職場はまだガチガチによそ行きの場所なのだ。失敗を恐れる頭が先に立ち、縮こまってしまうことが多い。

積極的に口を開かない、かといって、静かに控えていていざという時にさりげなく気がきくわけでもない。(小説や漫画の読みすぎかもしれないけど、その場その場での己のポジションて誰しも探すんじゃないかと思う)

強く求められもしない、でもはっきり咎められることもない、ふわふわした居心地で、楽に思うこともあれば、しばしば落ち着かない。もう何年もそんなだ。

まぁたぶん、多くの人が内と外で違う顔を持ってるんだろうな。割とみんな、家に帰ったら外面(そとづら)を脱いで、急にひょうきんになったりしてるのかもしれないな。


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グリーンピース。鞘から豆を取り出すのが楽しかった。


気が向いたらやります


きょうは仕事中に眠気がやって来ないで、楽に過ごせた。

また、やることはたくさんあったけど、大急ぎを求められるものはなくて、「どれからやろうかなぁ〜。よし、これにするか」という感じでやれたのも良かった。

会社勤めというのは、決まった時間拘束されることや、ずっと同じ場所で外向きの顔でいなければいけないことに加えて、〔仕事の順序を選択できない〕ということも人を消耗させるのだな、と気がついた。たいてい優先順位というものがあり、追い立てられるようにしてパソコンに張り付いている。タスクを背負うのは当たり前だけど、その背中のカゴから、次にどれを取り出すかくらい、つねに自分で決められたらいいのにな。


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(はぁ、ちょっと、休憩)


今月の目標は「疲れない」。できるだけ早く寝る、台所仕事でハッスルしすぎないようにする、用事がなくても有休を取る。

宣言すると気が済んでしまうタチなので月の頭では誰にも言わなかった。いま書いたのはラストスパートをかけるため。意識してゆるく過ごすのは、なかなか難しい。

疲れると、視野が狭くなる。(私はもともと狭いのにもっと狭くなる)

自然に周囲を見渡せなくなったら、疲れてるんだと思う。


時間の伝え方・青梗菜


仕事で、電話がかかってくる。相手の話したい人間が離席中のとき「◯時頃に戻ります」と伝えるんだけど、そこで私はよく「あと30分くらいです」と言ってしまう。まわりにそのような伝え方をしている人はいない。

なんとなく、私自身の体感的に「あと◯分くらいだな」と思ったのをそのまま口にしてしまうのだ。分数(ふんすう)と時刻。たぶん、後者で答えるほうが親切なんだろう。時刻は聞き取ってメモったあとに見返す際、その情報は絶対である。分数だと、「あと30分て、いつから数えてやねん!」となるかもしれない。

ただ、あの、自分を弁護するんじゃないけど、(と言いながらするんだけど)分数で言われれば、「あと30分か〜。じゃあそれまでこの仕事やっちゃえるな」とか、そんな風に、相手も体感的に目先の仕事の予定組みを考えられるんじゃないかな。

まぁでも、分数で伝える人が全然見当たらないということは、たぶん、一般的には時刻で伝えるほうが良いんだろう。

自分の変わったやり方がまわりを出し抜いて効率的であった経験が、まず、ない。

(ちょっと堪えるのは、自分のひねくれた、または愚鈍な部分が自分の仕事を難しくしていることではなくて、それに着目し、突っ込んでくれる人がいないこと。)


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青梗菜。おひたしにしても、お肉と炒めても、使いやすい。



やり方はいろいろです


「あ、これブログに書こう」と思うことが今週たくさん浮かんだけど、ほとんど忘れてしまった。思い浮かんだときはあれだけ強く思ってるのに、不思議だな。

(そもそもストックしておいても、あまり意味がないことが多い。結局そのとき関心の向くことを書いている)


おととい見た夢で、私が両親に対して、何かとてもくだらないことでムキになり、強く主張して、けれど二人とも正面から衝突してこないで、困りながらも、うん、そうだね、そうしよう、と受け入れた。(ヒートアップしている人に、その場でまともに向き合い話し合うことはできない(効率的ではない)ので、とりあえず頷いておく。それはもちろん、いまは冷静になれない相手を信じてのことなのだけど)

その大人の対応に触れ、こちらは自身の間違いを知り、きまりが悪くなり、でも引っ込みがつかず、あーもう、あーなんで、と自己嫌悪していた。夢で良かった。

こういう、ウチの実家の文化ではないんだけど、身近な人がヒートアップしたときに、売られた喧嘩を買う要領で、同じテンションで応酬することは、ときに正しいことなのかもしれない。とことん付き合っていく、あなたを一人にしない、傍観しない、という親密な関係を態度で示すことなのかもしれない。


今週はずっと眠たかった。いろいろちゃっちゃと片付ければ早く布団に入れるのに、睡眠不足が募って疲れていると、それができない。それで一週間、ずるずると。


*本文とは関係ない絵

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あら、お出かけですか。行ってらっしゃい。