クラシック音楽の『モルダウ』を聴くと、本来の曲のイメージとはかけ離れた思い出が浮かんでくる。
机をガタガタ動かす音、同級生の話し声、床にこぼれた牛乳の匂い。水道の蛇口に吊るされたレモン石けん、灰色の雑巾を水で絞って床拭きしたこと、ほうき係にあたった週は楽だったこと。
『モルダウ』は小学生のころ、掃除の時間に校内で流れる音楽だった。
中学生以降にこの曲に触れる機会は何度かあったけど、このイメージはいまも消えない。
モルダウが川の名前ってことは分かっていたと思う。ただその荘厳な流れは「使い終わった雑巾を絞る水道の水」とか「トイレ掃除で床のタイルを柄付きタワシでこすって最後にバケツの水で洗い流したこと」などのイメージにすり替わっている。
いまWikipediaで調べてみたら、モルダウはドイツ語で、チェコ語ではヴルタヴァって言うのだそうだ。
プラハ市内の美しい川べりの景色の写真があって、うっとりした。
一方jPOPは、クラシックよりも生活にうまく絡んで聴ける。
高校時代にはまっていたアーティストの曲を聴くと、ホコリっぽい教室の匂いも曲によく合って、ノスタルジーをもって思い出せる。そのイメージも、曲の良さを損なわない。
クラシックは、たまに聴くのがいいのかな。日常的に繰り返し聴いていると所帯じみてきてしまう。
私はこの先も、モルダウと雑巾を頭の中で切り離せずに生きていくんだろうか。