朝の電車のなかで気になるカップルを見た。
男の人は関西弁。女の人は標準語。
ふたりとも、互いのイントネーションに全くつられることなく話をしていた。
結構付き合いの長そうな、リラックスした雰囲気なのに、すごいなあと思った。
私なら絶対相手につられる。
間柄は関係なく、どうがんばってもつられる。
関西出身だけど、もう標準語には逆らわないことにしている。
必死に自分の方言に留まろうとして、相手と自分のイントネーションを行ったり来たりするのがカッコ悪い上、人格も定まらない。
だから思い切って学生時代に標準語はマスターしてしまった。
(英語習得したみたいな口ぶり)
相手と同じ言葉で話したほうが、ずっと話しやすく感じる。
そつなく世間話しているつもりでもイントネーションが違うだけで埋まらないものが確かにある。
生活の基本は標準語だけど、関西の人には関西弁を使う。
今ではその場の必要に応じて切り替えられる。
(バイリンガル気取り)
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東京に出てくる前、高校生のとき『NANA』という少女漫画を読んでいた。これは私の“標準語”のイメージの原点だった。
いっぽう“東京”のイメージの原点は椎名林檎の歌。
思えばあの、おしゃれに斜に構えたような都会のイメージは学生時代に置いて来た。
いまは、仕事中に裏手の中華料理店の厨房の匂いが漂ってくるような、下町の会社で働いている。