暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

ふるさとに固執する

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東京で仕事をしていて、
ときどき自分に言い聞かせていること。

(1)相槌(あいづち)が少なくても動揺しない
先輩や上司に何かを説明したり、報告をするとき。
相手が手元の資料に目を落としたまま、声を発さず、うなずきもしない、そういうシーンがしばしばある。
「何か気に障ることを言ってしまったのかな」
「話がまどろっこしくて呆れてるのかな」
などとつい思ってしまうけど、たいがい、じっと耳を傾けているだけ。
とりあえず一通り話を聞き終わるまで、途中であまりちゃちゃを入れない。東京の人は、ふだんのおしゃべりからそういう傾向があるように感じる。
もちろん、仕事で上司にする報告などは、世間話のように、互いの掛け合いで進めていく類のものではない。
言葉の発せられるベクトルは《部下→上司》の一方向であって良い。

ただ、どうしても相槌が少ないのが心細くて、やりづらいことがある。
自分が、相手の相槌にどれだけ自信を与えられているか分かる。

ふだんのおしゃべりともなれば、相槌・反応は増えるのだけど、やっぱり東と西は違う。

(以下、私の思う関西の会話リズム)
○相手の話を聞きながら、ちょっと先回りするように質問をして、話を引き出す。
○相手の話を理解しつつも、さらに自分の言葉に置き換えて「こういうことだよね?」というふうに、かなり具体的で、話し手の立場を乗っ取りかねないほど長い相槌をうつ。
○発する言葉のお尻を互いにかじり合うように、会話が繋がれていく。一人の発言だけを取り出せば、文章として成り立たないこともある。
Aさんの発言「~で、△△だから、」の後半(~~こうなんだよね)は、Bさんが当たり前のように担当したりする。



(2)自虐的な話をしない
こないだこんなことがあって、聞いてくださいよー!めっちゃあほですよね!(^◇^)
というふうな、自分の失敗談をすると、相手の反応がいまいちすぎて気まずい。
これは入社して間も無く、いろんな人と仲良くなりたくて、積極的に話をしている中で気がついた。
自分のダメなとこを面白おかしく喋ることでお近づきになった経験があったのだけど、東では通用しない。
これは東京というよりも会社の中で、当たり障りないことが重要視されることも大きいだろう。
けれど、「プライベートじゃなくて会社だから」というだけで、私が入社以来耐えず感じている寂しさは説明がつかない気がする。

周りがついてこなくても、関西風を貫いている関西出身者もいる。
私には、受け皿が必要だからそれができない。
しっくりこない感じをそのままに、いつも周りを観察し、時々はリズムをうまく合わせて談笑して、「ああ、こうやるのか!」と心地よく納得する。

着ているものの、たもとは濡れてもいい。
だけど全身で飛び込む気はない。
帰る気もないのに、頑なでものぐさ。