時計のはなし
小学校か中学校のとき、国語の教科書に時計の話が載っていた。
アナログ時計とデジタル時計。
人は、デジタル時計の数字を見て時間を知る。
けれど、アナログ時計のあの文字盤と二本の針、それで表されるものでなければ、【実感として】時間を把握することはできない。
そんな内容だった。
説明がわかりにくかったら申し訳ないですが…。たとえば
2:50
これは「3時まであと10分」ということをも示している。
この、現時点から先の段階を含んだ捉え方、全体の中でどの位置にあるのかということ。それがアナログ時計では視覚的に瞬時にわかるのに対し、デジタルは単純に「今この時」を表すにとどまる。
「あと10分で3時だ」という情報は、一呼吸置いて入ってくる。
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仕事をするようになってから、この話がいつも頭の隅にある。
パソコンの右下のデジタル時計、4つの数字が時間をいつも知らせてくれる。
「ああ、もうこんな時間か」
「会議は16時からだから、あと20分か。この仕事は片付くかな」
「終業までの30分って、なんか過ぎるの早いな」
仕事にとって10分がどれくらいの長さなのか。
お昼休みまでの5分の気ぜわしさ、とか。
仕事を開始して30分後だと、まだ全然時計なんて見ない、ということだとか。
数字が無機質に知らせてくる時間にも、私なりの思い入れ、イメージがいつのまにか出来上がっていて、今ではデジタル時計をあまり「味気ない」「冷たい」とは思わないのです。
できれば、アナログ時計の文字盤に温かみを感じる感性が良いなぁと思っているのに。
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こないだ初めてスマホ上で電子書籍を購入。小説です。
話は面白かったけど、本は電子じゃないほうがいい、と思いました。手で本を持って、ページを繰りながら読んで、何割くらい読んだのかを時々手で感じたい。
ただその不満を我慢しながら読み続けていたら、きっとそれなりの愛着を育ててしまうんだろうな、と思いました。
(そしてそのときには別に悪い思いはしないのだろうとも)
だったら、何かを使う・使わない、手に入れる・入れないの厳密な選別は、どの程度意味があるんだろう。
愛着が湧くことが全ての目的ではないけど、愛着があればやっていける気もするし。
(論理的に書いているふうですが、いっときの感情にしたがってダーッと書いたものなので、わかりにくいと思います。私もあとから読んだら?となるかもしれません。)
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