友達に会いました。
久しぶりのごはん。
喋りつつメニューを選びます。
これもいいあれもいい、
あ、そういえばこないだテレビでやってたよ、かくかくしかじか
えー!家帰ったらやってみようかなぁ
あ、やっぱ私これかな
それ?じゃあ私別のやつにしようかな
全部スープがついてくるんだね
あ、うれしい
そろそろ衣替えの季節だね
着ない服は捨てていかないとスペースがもうさぁ
注文してから存分に喋ればいいのに
どっちも同時進行でこなす。
食べるときも喋るのに大忙し。
私は聞き役に回ることが多くて
相手のほうがよく喋ってるのに
私もごはんが進みません。
笑うのに忙しくて。
時間はあっという間にすぎて
友達がおもむろに
その日は楽しかったです。
はた目にはいつも通り。
でも、見過ごせない小さなズレがあった。
自分が今重きを置いていることが
彼女にはそんなに重要じゃない。
いつの間にか私の知らない世界をいくつも持っている。
進んで話すことと、避ける話題がある。
それを会話の合間合間に感じました。
どれもこれも、他人とはそういうものかもしれない。
会社の人なら驚かない。
だけどかつては、興味が、テンションが、言葉の選び方までもが。
こんなにぴったり沿い合うものかと感激した経験があるから、見過ごせない。
そのズレに、つい意識が向く。
それぞれに仕事をして趣味を持って
各々の悩みに取り組みながら暮らしていけば
いろんなことが別々にもなる。
仲たがいをしているのではありません。
それは変化というよりは「波」みたいなもので
長い目でみて
自然に寄せては返して、寄せては返して、
していくんじゃないかと思う。
なにも、その実像のない不和を議題にあげて話し合う必要もない。
(こんなことしなくていい。)
感じたぎこちなさには
小さな憤りがその根っこにあるんですが、
とても勝手な感情で、
自分に端を発するものだとわかる。
(恥ずかしながらそういうことが私はけっこうある)
失礼なこと、八つ当たりのようなことだけはしないように。
私も向こうも同じなのは
整理が付かない段階で心境の開示はしない。
だから何かを胸に抱えた状態で会うのが難しかったのかもしれない。
また次会ったら何か違うといいな。