暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

これは平常運転


今日は、昨年から読んでいた漫画の最終巻をKindleで購入した。ラストが切なく、思わずホロリとし、そしたら止まらなくなって、しばらくシクシク泣いていた。

ほのぼのとした優しい漫画で、なんとなく話の閉じ方も見当がついていた。それでも涙を誘われたのは確かだけど、そんなに、何度も鼻をかむほど泣いたのは、別の理由だった。日々の納得いかないこと、思うように評価されないことなど、逐一向き合えずに心の中で取り急ぎ押入れに放り込んでいることが溢れてきた。

生活の中に改善すべき病理があるというよりは、ただ自分が子供っぽくいちいち小さなことで傷ついているせいだと思う。

恥ずかしいけど、ときどきこうなる。こうでないと解放できないものがある。側から見たら心配な光景だけど、泣いている間、気持ちは少し爽快だった。悪いものを飛ばした感じで、あとはケロリとしていた。


子供のころ、焼き魚の赤身が苦手だった。例えばぶりの照り焼きの、皮の際の赤い部分は皮ごと残し、白身だけ甘辛いたれに浸して食べていた。

神経質に赤身を白身からこそげとる様子を、父は呆れながら眺めて、「大人になったらそんなのは面倒だから、きっと一緒に食べてしまうようになるわ」と笑っていた。

はたして、近頃は必ず赤身をこそげとるということはしなくなった。面倒ということ以上に、白身と赤身の味の違いを以前ほど感じなくなってきたのである。

こんなふうに、ちよっとしたことは構わずまるっと飲み込めるようになりたい。

でも鈍感になりたいのではない。落ち込んでも、開き直ったり立ち直ったりする技術があればいい。

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この落描き中、食卓に何を並べようか考えていて、ピカチュウはケチャップが好物らしいと知った。(「サトシのピカチュウ」だけかもしれない)ネットで検索したら、ピカチュウがケチャップを抱えて歩いているアニメ画像が出てきて、それは可愛かった。