連休と丼
今日は二人で出かけた。毎年ゴールデンウィークてこんなだよなぁ、と思うような晴天、気持ちのいい日だったけど、まだ体が暑さに慣れていないのか、帰る頃に頭がズキズキし始めた。最寄駅のスーパーで夕飯の買い物をしているときにはもうふらふらとして注意力散漫で、二つも買い忘れてしまった。(ツナと卵。あー悔しい。)
ちなみに、ツナは茹でたゴーヤと、かつおぶしとで和えものを作るつもりだった。(簡単な副菜なんだけど、料理名はなんて言ったらいいんだろう…私と母の間ではゴーヤシーチキンと呼んでいる。そのまま。)
そのレシピを思い出したのは、お昼に入った中華料理屋さんで、向こう4日分の食材の買い物リスト考えているとき、となりの席のご夫婦がゴーヤの話をしていたからだ。「ええと、お魚はあったよね、あと…」「ゴーヤ!ゴーヤね」「そうだね」なんて話をしていた。仲良しだなぁ。
お昼に食べた中華の定食がすごいボリュームだったので、今夜はさっぱり簡単なものにした。サバ缶を使って、ミョウガとシソと和えて丼に。
丼は一品で楽なのにその割には「ちゃんと感」が出るからいい。一品で楽だから、始めてのレシピ、変わったことをやってみる気になれたりもする。
平成の終わりに描いたもの。
菜箸、ミョウガのこと
一人暮らしのときから使っている菜箸は、よく火にかけた鍋に突き刺したままにしたせいで、かなり湾曲している。
あ、熱で曲がってしまったんだ、と気付いて以降は気をつけて、差しっぱにしないようにしてきたけど、「元々曲がっちゃってるんだからいいか」という気分のときもあり、今でもたまにやってしまう。
ものを挟みづらいほどなので、菜箸くらい、新しいのを買えばいいけど、それなりに使いこなせるし、まな板のうえやシンクの縁に置かれた長い菜箸が曲がっている光景が面白くて、別にまぁこれでもいいや、と思ってそのままきている。
(こういう、支障らしい支障がないと腰を上げないところ、怠惰だなぁと思う。もし誰かからもらったりして新品の菜箸を使ってみたら「わー!まっすぐで使いやすい( ´∀`)」と感動して喜ぶと思う。)
昨日は、ミョウガときゅうりとちくわの酢の物を作った。ミョウガがこんなに爽やかな味で、使いやすいとは。
自炊して10年になるのに最近まで買ったことがなくて、今回が2回目。まな板の上に置いてある光景がまだ見慣れなくて、気持ちミョウガのほうもかしこまっているようで、「お客さん」という感じ。隣町から、とか県外から、というレベルではなくて、海外からいらっしゃった感じがする。言葉も通じるかどうか…(◯◯県産と書いてあるのを見ても、この心理的な距離感はあまり変わらない)
対して、キャベツやきゅうり、にんじん、大根、じゃがいもなどはめちゃめちゃ馴染みのご近所さんだ。
(お客さん感がある…ミョウガ、ズッキーニ)
(ご近所さんだけど通いの頻度は少ない、ちょっとお洒落…しそ)
のどの渇き・装い
今週は暖かかった。朝会社に着いて飲む水筒の冷たいお茶がおいしかった。
寒い季節、日中お茶や水を飲むのは気分の仕切り直しだったり、「水分とらなきゃ」という思いからだったりする。春の気候の下、素直にのどが乾いて飲むお茶はこんなにおいしかったんだな。
あと、今週はインナーも衣替えした。秋口からずーっと着ていたヒートテックをやめて、ふつうのキャミソールを着た。
別にまだ、よっぽどモコモコのやつでなければセーターを着てたって汗をかかないんだけど、気候が、街をゆく人々の服装が、「セーターはちょっと季節遅れじゃないですか」という気にさせる。
日々の通勤で、カラフルで着心地軽そうなスカートやトレンチコートを見ているとこちらも気分が華やいできて、久しぶりに服を見に行きたいなぁと思う。ただ、何が流行ってるのかわからないから、まずファッション誌を買ってから…とまごまごしているから、なかなか買うところまでいかない。(やっと出かけてみるとお店ではもう夏物や秋物を売ってたりする)
きょうはとてもいい天気。めったに出ないベランダに出て、物干し竿をきれいにして、来客用の布団を干した。
豚肉とほうれん草・書き順
きょうはとても寒かった。暦を無視した冬の格好で、傘をさして家を出た。
ぽかぽか陽気の日には「こんな日に屋内にこもって仕事してるなんて」とかボヤくけど、今日は今日で「こんな冷たい寒い日に出かけるなんて」と思った。
今夜は豚肉とほうれん草、厚揚げの炒め煮を作った。レシピに書いてある調味料を全体的に気持ち少なくしたら、味を程よい濃さにできた。片栗粉でとろみをつけたから、お弁当にも入れやすい。もう今から明日のお弁当が楽しみ。(もしかしてここ数日食欲が乏しかったのは、コンビニ飯だったせいかもしれない。やっぱり自炊がいちばん)
仕事中、書類の宛名に「飛」の字を書く機会があった。正直なところ、私は長年この字を勢いで書いていて(ゆっくり一画ずつ意識しながら書いたら書けない気がする)、そのせいで少し傾いだ感じになることが多かった。しかし人の名前だしな、と書き順をネットで調べ、それに従って書いたところ、ほれぼれするほどバランスの良い「飛」になった。
気持ちはお休み
今日は一日調子が悪かった。誰かのたわいない一言に傷つき、「失礼な」と内心腹を立てて、しばらくしてからそれは相手の無神経よりも自分の立場や虫の居所に原因の大半があると思い直した。だからといって気が晴れることはなく、もやもや〜としたまま仕事をした。
胃袋もいつもと違った。空腹は感じるものの食欲が乏しく、お昼ご飯を前にしても、はやる気持ちが感じられない。いつも「お昼だお昼だ」とウキウキするのに、それがないのはとても珍しいことだった。
性格上、ちょっと抜けているところ、思い込んだら周りが見えなくなるところ、それは長らく周囲の笑いを誘うような性質のものであったのが、大人になったせいか、立場によるものか、致命的な間違いにつながりかねない危ういものと認識されることが増えた。
そういう自覚がしばしば度を越して、息苦しい。
どちらかというと、危うさも自分のバランスを構成するひとつだから、それを取り払おうとすると、根本から崩れてしまう感じがしている。些細な事柄に対する自分の感じ方まで信じられなくなってくる。
誰に何と言われても、自分のバランスに自信をもってやっていくしかないし、いけばいいのだと思う。取りこぼしたものはできる限りの誠意と責任を持って繕い、やりきったと思ったらまたスタスタ歩き出す。
落ち込むのは最大の防御だ。しゃんとして、落ち着きのある人にこそ批判や文句が言えるのだ。
アドベンチャーワールドのチーター。写真のスケッチ。(横になって寝ていて、ちょっと頭をもたげたところ)
改元のこと
今日は新元号の発表だった。「◯◯だってさ」と人の口から聞くよりも、自分の目で見たいと思い、11時25分頃から何度もヤフーのトップ画面を見に行った。その甲斐あって、その元号を目にすることができた。
そのあとはなんとなくソワソワして、実家へ「元号が発表になったね」とラインをした。(何の用でもなくそれだけを)また会社では誰かが、あぁ今日のイベントは終わってしまった、もう帰りたいなと言っていて、皆同感していた。
こうして知ってる人も知らない人も、皆が一様に同じことを気にするのが、特別な感じがする。オリンピックのときもよく似た空気になる。
どんな元号であっても、初めのうちは確実に違和感しかないだろうなどと家で話していたけど、今日昼間に「令和」と聞いて、ほう、れいわ、かぁ。ふうん。と思ったあと、次第に馴染んできて、昼休みが終わる頃には、前からこの元号になると知っていたような気すらしてきた。
改元は生きてきて二度目たけど、平成が始まった時は小さかったので、何にも覚えていない。
元号変わるってこんな感じなんだなぁ、と、後からは細かく思い出せそうにはないことを書いておいた。
これによって仕事が増えたり何かが変わったりと、私も多かれ少なかれ影響がある。しばらくは否応なく日々意識させられるだろうな。新しい元号への気持ちの純粋な反応は、今日一日だけ観察できるものかもしれない。
まとめ買いの話・スケッチ
スーパーでは4日分の食材をまとめ買いする。一日分を大体いくらとして、×4で合計いくら、と目安を決めている。お菓子など、プラスアルファなものをカゴに入れてもその予算を下回れたとき、とても嬉しい。
(なぜ4日分かというと、家まで一人で運びきれるギリギリの量が4日分なのだ。鶏胸、鶏もも、豚、魚とメインディッシュの主役を買い、青菜を2種類くらい、あと根菜やら納豆やら、お弁当用の冷凍食品、パン、果物など)
社会人になりたての頃、「ありふれた大人になりたくない」みたいな思いがあって、イライラしたり焦ったりしていたけど、あの気持ちはいつの間に、どこへ行っちゃったのか。
いま、ただ生活を送ることに骨を折り、そのたび自分の小ささにびっくりして、反省して、考えを改めることで物事がうまく回り出すことが面白い。
久しぶりに動物のスケッチができた。
A4の画用紙に大きく描こうと思っていたのに、中央に小さくまとめてしまった。
アドベンチャーワールドで撮ったシロオリックスの写真のスケッチ。(実際は草を食んでいる途中のようで、向かって左側に下顎が出ていたんだけど、なんだか締まらないので省きました。)