少し前、無事出産しました。
出てきてくれて、よかった。
お産の最中か、それとも産んだ直後だったか、分娩室で「もうこんなのは一度きりでいい、二度も三度もは無理だ」と思った。
なのに数日経つともう忘れかけていて、また子どもが、とてもかわいいものだと知り、こんな尊い存在を迎え入れるためならお産も充分耐える価値のあるものだという気持ちになった。また、いつかこの子に兄弟姉妹を与えてやりたいという気持ちになるのかもな、と想像したりした。
ただ、それとはまた別のところで、ぺたんこになったお腹がなんだか切なく、胎動のないのが寂しかった。また産院での体験は特別なもので、いろんなことがあったなぁと、たかだか一週間のことなのに、まるで中学や高校を卒業時するような、センチメンタルな気持ちで退院をした。
(日毎にその気持ちも忘れかけている。体の戻りが順調なのが嬉しいという気持ちに置きかわりつつある。なので忘れないよう書いておく。)
子どもはかわいいとは聞いていたけど、想像以上だった。何か新しい気持ちが胸の中に芽生えたというよりは、気がついたら圧倒的な大きさのものに自分が包まれ、含まれていた。
子どもへの“かわいい”の中には、その言葉通りの意味と、同時に「心配」があることも初めて知った。特にいま、新生児の柔らかくて無防備なこと。
お腹にいたときは自分が食生活やらなんやらに気をつければ我が子を守ることができたけど、これからは気を配ることの範囲が、頻度が、その比ではない。
カンガルーのポッケのようなものがあって、何かあったときには瞬時に包み込んで、悪いものから守ってあげられたらいいのになぁと思ったりする。
一日一日を大事に過ごしたいけど、早く成長してたくましくなってほしい、とも思う。(たくましくなるのは子どももだし、自分も、かな。)
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