暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

嬉しいメルマガの話など

 

少し前にオンラインショップで買い物をした和菓子屋さんから、メールで新商品のお知らせが来た。

あ、会員登録したときにメルマガ配信拒否しそびれた・・・!と思ったのは一瞬で、メールを開いたら写真がバーンと出てきて、その新商品がなんとも美味しそうで、教えてくれてありがとう、と素直に思った。(文章がシンプルなのも良かった。)

メルマガの類はたいてい配信拒否するけど、とりあえずこれはこのままでいいかな。 

贈答品を選ぶ・送ることは、失礼のないようにとあれこれ考えるのでエネルギーがいる。でもその中でおいしいもの、おいしそうなものに出会うのは楽しいし、回を重ねるうちに次第にいい感じのお店・品物のリストが増えていくのは、手札が増える感じがして、良い。

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全然違う話だけど、この間久しぶりに口内炎になった。

口内炎は、できる場所にもよるけど、何を食べても痛い、歯磨きのときも痛いしで、たとえば太ももをぶつけて内出血するのなんかと比べてずっと気が滅入る。(紙や包丁で指先を切るのとは良い勝負だな。日常の何気ない動作で頻繁に当たる部位の怪我は小さくても辛い)

 

でもまあ良かったなと思うことの一つは、夫も口内炎にそこそこなるので、辛さをわかってもらえること。口内炎できた、と伝えて、フーン大変だね、という返事ではなくて、口の中のどこか、どうやってできたか、ピークはこれからか、とかいろいろ聞いてくれる。全ての話題でバチバチに噛み合うわけではないので、なんかこれが地味に嬉しい。

あと、治ってきたときの喜びが大きい。舌で触って、あ、痛くない!と気づいたときの感動。ちょっとラッキーなことがあったみたいに、気分がよくなる。

だから口内炎になるのも良いよね、とは思えないけど。

 

口内炎のことは、おんなじようなことを前にも書いたかもなあ。口内炎、できるたびに同じ気持ちになるもので…。こんな感じのを前にも読んだよ、と思われたらすみません。)

 

 

 

 

 

 

 

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おやつにあんこ

最近のおやつは、お手製のあんこ。

里帰りしていたときに母の作ったおぜんざいをよく食べた。小豆を煮潰して、まとまった量を作って冷凍していると聞いて、東京に戻ってから、自分でもやってみた。

ネットで見つかるレシピよりは砂糖を控えめにして(小豆250gに対して砂糖110g)、砂糖を煮含ませる前に煮汁の大部分を捨てる。水分少な目、ぐちゃぐちゃのほうが好みで、あんこをそのまま食べる感じ。(白玉を作ったりお餅を焼いたりする手間は省いて)

食べ過ぎてももたれないし、お通じに良いしで気に入っている。

 

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きのうの晩御飯は塩鮭を焼いたのをメインに、白菜と鶏ひき肉の煮物、トマトとお豆腐のサラダなど、いろいろ作った。献立のバランスがよく、いろどりもあって、きっと美味しいぞ、と味も自信があったのに、結果はどれも今ひとつで、がっかりしてしまった。

敗因はなんとなくわかっていて、子どものところと台所を行き来して、料理の合間に子どもをあやしていたというよりは、子どもをあやす合間に料理をしていたからだと思う。味見もしなかったし、作る分量に応じてレシピ記載の調味料の量を調節するのもざっくりだった。

別に食べられなくはないし、栄養は摂れているんだけど、思い通りにいかないのが情けなくて、気持ちが荒れていたのを、きょう朝から小豆を炊いてあんこを作って食べて、回復させた。(一度作っておくと4,5日もつ。よっしゃ作り置きできたぞ、これでしばらく大丈夫、というホクホクした気持ちが良い。)

 

 

 

 

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またスマホのこと

今日は朝からずっと曇り。昨日布団を干しておいてよかった。


スマホの及ぼす害についての本を読んで、一番納得した点は、ネット上で大小さまざまな情報を雑多に吸収する過程でその処理に脳は疲労するということ。

そのために日々のこと(勉強や仕事など)に取り組むエネルギーが知らず知らずのうちにすり減っているのだと。

 

育児で忙しくなり、スマホでニュースをザッピングしなくなってから、なんだか気分が良くなった。用事を複数抱えても、追われている感じがなくなった。用事は自分が進んでこなすもの。後回しになっちゃう、のではなく後回しにする、のだ。(結局手をつけられてないんかい、という感じだけど、それはまた別の話)

気分というのは曖昧なものだけど、自分ではっきりそう思う。漠然とした気ぜわしさがなくなり、何かに腹をたてることが減った。

育児にかなりの時間を充てているけど、せっかく育休で家に居られるのだし、隙間の時間を縫って何か学び直そうかなという意欲すら頭をもたげてきた。

 

一つ前のブログでも書いたことだけど、スマホはいろんな機能が搭載されているのが、便利なようで、よくない。

一番の問題はネットで、何か目的があってスマホを手に取っても、その前にとりあえずネットを開いて・・・というのが癖になっている。

電話なら電話機で、インターネットで調べ物をしたいならパソコンで。という風に、一つの用事に一つの道具、という従来の当たり前が、人の自然にとって無理がなく、一周して何より洗練された仕組みのように思えてくる。(そういえばシャンプー・コンディショナーのセパレート型に対してオールインワンの方が高級というイメージはないのに、無数の機能が詰め込まれたスマホは、そのようには見なされないのだな。)

 

かといって、いまさらノースマホ生活は難しい。ともに暮らす夫、実家の両親などにも面倒をかけるし、何よりこれから大きくなる我が子にスマホとの付き合い方を教えていかないといけない。

今の時点で何か良いやり方を知っているわけではないけど、とりあえず「付き合い方を考え、心して使わないといけない道具だ」ということだけはわかってきた。

あと、スマホが大人にも子どもにも魅力的なおもちゃであること、その中毒性を自覚し、それに匹敵するくらい面白いものを身の回りに絶やさないということかな。

私の場合はそれは絵や本だけど、要は、乗せられ、連れ回されるのではない、主体的な遊びが大事で、そういうものが人を芯から元気にしてくれるのだと思う。

 

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スマホのこと

最近は育児に忙しくて、スマホを使う時間ががくんと減った。そうしたら、なんとなく、いい感じになってきた。なんて言ったらいいのか、自分のペースを大事にできるというか、近いうちにやらないといけないことを、あまり焦らず連れて歩ける。

不慣れでやり方から調べないといけないような手続き関係も、すぐ手をつけられそうにないからといってパニックにならずに「うん、今週中にまず何が必要かだけは調べよう」などと思って、スンとしていられる。

タスク管理のためにスマホのメモ帳をよく使ってきたけど、今は毎日つけている育児日記のフリー記入欄にちょこちょこ書くので充分だ。というか、その方が良い。スマホは搭載された機能と、差し出される情報が過多で、手に取ったが最後、あっちゃこっちゃ気になるところを見て、そのうちに当初の目的が思い出せなくなる。(実家で「えーと、私いまスマホで何しようとしてたっけ?」「私に聞かれても(笑)」というやり取りを母と何度かした。)

まだパソコンの方が主導権を握っていられるので、何か買うのでも調べるのでも、できるだけパソコンを使うようにしたいな。

スマホ脳』(新潮新書)では、スマホの普及によって、ネットを携帯する時代になったと書かれていた。それがどう悪いのかを説明できるほど内容を消化できていないのだけど、パソコンを持ってくる・電源を入れる・ネットを立ち上げるという手間は、省くべきものではなく、必要な儀式なのだと思った。

ただ料理のレシピはスマホで見るのが便利だし、LINEは毎日誰かしらと何かしらのやりとりがある。写真や動画はスマホで撮るし、あと、家に電話を引いていないので、電話はスマホ頼りだ。スマホ上で購入した電子書籍もまだ2冊ほど残っている。

なんだか、思った以上にスマホにべったりだけど、肝心なのは、ネット上で無目的に漂流しないということだと思う。

 

ここのところ、ブログに書きたいことが浮かんでは消え浮かんでは消えする。内容はその時々で違う。

頭の中をランダムにいくつものこと(瑣末なこと・しょうもないこと)が行き過ぎて、「あれ、さっき『あ、これについて書こう!』と思ったのはなんだっけ?」となる。見失っても、自分の頭の中のどこかに落ちているのだろうと思うと、別に気持ち悪くはない。

 

このブログは久しぶりにパソコンで書いてみた。本の中でSNSの及ぼす害悪がしきりに説かれていたけど、はてなブログはやめたくないなぁ。

SNS上で他人と比較して自己評価を落とす、自分の状況への不満足感が募るという趣旨だったけど、私とはてなの場合あまりそれはピンとこない。マイペースを守って、書いていきたい。

(現実には3人にも言えないことをSNSでは300人に言えてしまう、という指摘にはどきりとした。それがどう悪いとかはわからないけど、その不自然さは、漠然と、怖い。)

 

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里帰りを終えて


いま飲んでいるルイボスティーティーパックが、とてもいい。出がらしでもよく出る。朝淹れたら小皿に出しておいて、午後にまたおやつと一緒に飲むのに使う。日をまたいでまで使ったことはないけど、いったい何番まで入るんだろうと思う。(たぶんカップ一杯に使うよりポットでもう少し多めのお湯でやるのに向いてるんだろうな。うちでは紅茶は私しか飲まないから、自分のマグカップに放り込んでは取り出し、している)

先月、里帰りを終えて東京へ戻ってきた。実家ではよく果物を食べていて、それで体の調子がよかったので、それを継続している。冷蔵庫にはつねにりんご、みかん、たまにいちご。
また、母の作るご飯は品数が多くて、それも産後の体によかった。野菜をたくさん使う献立なんだけど、母が葉物野菜は「白もの野菜(白菜、ねぎ、キャベツなど)」と「緑黄色野菜(ほうれん草、小松菜、人参など)」に分けて考えているのを知った。

私はこれまで、葉物野菜は、例えば白菜を使えば、それで今夜の食卓、葉っぱものはクリア、と思っていて、なんか品数さみしいな、あと一品どうしようかな、と悩むことが多かった。それを白と緑に分けて考えると献立が楽に組み上がることに、感動した。これ、台所に立つ人はたいてい意識してるのかな。私は野菜はせいぜい根菜、葉っぱもの、くらいの分け方だった。

こんな風に、食事のこと一つとっても里帰りで得たものは多かった。産前産後に世話になるだけでなくて、これから自分の家庭で助けになる無形のものを頭にたくさん詰め込んで、自宅へ戻ってきた。

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近況(髪を切ったこと、子どものこと)


気がつけば今年もあと少し。

年末の大掃除として、私も少し働いた。洗面所の鏡を磨いて、玄関の床を雑巾掛けした。

数日前に美容院に行ってきた。コロナ禍で1年近く行くのをやめていたけど、洗えば乾きにくいし、とかせば毛先がもつれるし、いい加減扱いが面倒になってきて、行こうと決めた。(肩から胸に垂れた髪の束を、頭を振って後ろにはらう動作がもう獅子舞のようだった)

10cm以上切って、それはそれは快適になった。次はいつ行けるかなぁ。

11月に生まれた娘は、日ごとに成長し仕草も多様になってきている。目で人を追うようになり、音の鳴るおもちゃに関心を示し、機嫌のいい時にもなにかを言いたげに声を出すことが増えた。(この3つの変化がこの時期だったということを、後になったら絶対覚えていないだろうな。)


いまは実家にいて、家事業は免れているので私のやっていることは娘のお世話のみ。娘は何時間かまとめて眠ってくれるし、今のところ原因不明で泣き続けることもない。

だからその気になればブログを書く時間はあるし、お絵描きもできると思うけど、子どもの顔を見ているとあっという間に時間が過ぎていく。

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(これは親戚に出したハガキに添えたイラスト。こういうのを週1回でも描きたいけど、無目的にペンをとることが、なかなかできない。)


*もう1ヶ月前になるけど、出産のことを書いた際、スターをつけてくれた方、コメントをくれた方、ありがとうございました。何かと余裕のないときに気持ちの支えになりました。特別な色のスターは勲章をもらったようで、嬉しかったです。




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子どものこと

少し前、無事出産しました。

出てきてくれて、よかった。

お産の最中か、それとも産んだ直後だったか、分娩室で「もうこんなのは一度きりでいい、二度も三度もは無理だ」と思った。

なのに数日経つともう忘れかけていて、また子どもが、とてもかわいいものだと知り、こんな尊い存在を迎え入れるためならお産も充分耐える価値のあるものだという気持ちになった。また、いつかこの子に兄弟姉妹を与えてやりたいという気持ちになるのかもな、と想像したりした。


ただ、それとはまた別のところで、ぺたんこになったお腹がなんだか切なく、胎動のないのが寂しかった。また産院での体験は特別なもので、いろんなことがあったなぁと、たかだか一週間のことなのに、まるで中学や高校を卒業時するような、センチメンタルな気持ちで退院をした。

(日毎にその気持ちも忘れかけている。体の戻りが順調なのが嬉しいという気持ちに置きかわりつつある。なので忘れないよう書いておく。)


子どもはかわいいとは聞いていたけど、想像以上だった。何か新しい気持ちが胸の中に芽生えたというよりは、気がついたら圧倒的な大きさのものに自分が包まれ、含まれていた。

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子どもへの“かわいい”の中には、その言葉通りの意味と、同時に「心配」があることも初めて知った。特にいま、新生児の柔らかくて無防備なこと。

お腹にいたときは自分が食生活やらなんやらに気をつければ我が子を守ることができたけど、これからは気を配ることの範囲が、頻度が、その比ではない。

カンガルーのポッケのようなものがあって、何かあったときには瞬時に包み込んで、悪いものから守ってあげられたらいいのになぁと思ったりする。

一日一日を大事に過ごしたいけど、早く成長してたくましくなってほしい、とも思う。(たくましくなるのは子どももだし、自分も、かな。)






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