暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

育休中の心構え

雨の中散歩に出かけた。そこかしこで咲いているあじさいは、雨で濡れた葉っぱがツヤツヤとして、きれいだった。

足元が悪いので早めに切り上げて、スーパーに寄って帰って来た。今夜はぶりの照り焼きと、ナスとひき肉を使ったおかず。早めに献立が決まっていると楽だ。

 

一日の中で、朝がいちばん気分がいい。

ええと今から洗濯機回して、その間に朝ごはんのお皿を洗って、コロコロをして掃除機をかけて…と、サクサクやることをこなしていくと、ゆとりのある一日が過ごせそうな予感にわくわくする。(もちろんその合間に子どもと遊んだり授乳をしたりする)

結局は、どんなに早めに家事を片付けようが、子どもが長めのお昼寝をしてくれようが、たいてい夕方からドタバタするのがオチで、なんでいつもこうなるのかなと、一日の終わりにぐったりしながら思う。

でもこれが育児なのかな、一日中一緒にいれるのは育休が明けるまで、思う存分振り回されよう、そう思う。

まあどうしてもこちらの都合でコントロールする部分もあるわけで(大人もご飯を食べるしお風呂も入る)、一から十まで相手に沿わすわけにもいかないから、出来るだけゆったり構えていたい。

(というのは理想で、日々いちいちびっくりしたり脱力したり、まだ赤ちゃんだけど、娘に悪いように伝わってないといいなぁと願う)

 

 

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文章の内容とは関係ない絵です。

ちょくちょくブログを書きたいなぁと思って、しばらくは、描けるときに気ままに描いた絵を、文章と関係なく載せていくことにしました。(文章に合わせて絵を描く間に文章が自分の中で風化し、アップする気がなくなるのを避ける作戦)

 

 

 

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今日の晩ご飯・本の話

 

実家からパセリを送ってもらった。普段使わない野菜が手に入ると、新しいレシピに挑戦したりして、献立が一風違う感じになるので楽しい。

ものによっては下処理から初めて、これどうしたらいいん、と手間に感じることもあるけど、料理が出来上がり、食べる段になるといつも、送ってもらってよかったなぁと思う。

まあしかし今回、パセリはほんとにどうしたらいいか分からず、(味が思い浮かばず、こんな使い方ができそうだという見当すらつかない)ネットであれこれ調べて、チーズを挟んだポークソテーのソースに使うレシピを見つけた。これは美味しそうだ。

それでさっき、お肉とチーズを買ってきた。上手にできるかな。

和風や中華味のメインおかずはよくやるんだけど、洋風のは、あまりやらない。ドタバタしている毎日の中で、結局やりやすいの、思い浮かぶのばかりを作るので、こういう機会でもないとレパートリーが広がらない。ただ、いただいた野菜を無駄にしたくないという思いに背中を押される。

 

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最近読んだ本に、元気付けられた。誰かに相談するよりも、それでいいんだと言ってもらった気がした。それで初めて、自分のやり方を俯瞰して、メスを入れる気にもなれる。

趣味や考えに近いところがある人の文章に触れることは、時々ものすごく大切だ。

 

 

 

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夕飯のこと、最近の心配

きのうの夕飯のメインに、レタスと鶏肉を使った。

鶏肉には片栗粉を多めにまぶして、片面が焼けたら、ひっくり返して上に大量のレタスを乗せて蓋をする。で、しゅんとなったら、混ぜておいた鶏がらスープの素とごま油メインのソースを絡める。

ソースを絡める際に、茹でたブロッコリーも放り込んだ。案の定、あんなに嵩(かさ)高かったレタスがどこいった?と思うくらいしゅんとしたので、ブロッコリーのボリュームが丁度よかったし、何より花蕾に味の絡んだブロッコリーがめちゃくちゃおいしかった。

これまたやろう。

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また緊急事態宣言が出てしまって、近所の図書館や児童館が閉鎖された。同じような月齢の子供を連れたお母さんと自然に話ができる場がなくなってしまって、ちょっと困っている。

公園で話しかける、とかいうのは私にはとても難しい。

行きたいところへは一人でも行ける人間でありたいとか、群れるのはちょっと、と思って生きてきた。(女友達も少ない。)でもここにきて、子どもが毎日ただ私や夫とべったりなのが良くないと感じ、自然な形で誰かと関わりを持ちたいと思った時に、自分の社交性の無さが身に染みてきた。

本当に自分というものを持っていれば、どこでも、自分から話しかけることが出来る気がする。結局ただ引っ込み思案なだけなんだな。

生きていると、自分の性質とはしばしばモロに向き合わざるを得なくて、それがしんどいけど、同時に、回り道をしないで歩いている感じがするのは、良い。

(この間マンションのエレベーターで赤ちゃん連れのお母さんと一緒になったけど、すぐ上の階で降りて行かれたので、話しかけそびれた。エレベーターの中で初対面の人に簡潔に世間話をするのはめっちゃ難しい。)

 

 

 

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お産の話

書きたいと思い続けて全然書けていなかった、出産のこと。

なんだかどんどん遠ざかって忘れかけているけど、今書けることを書いておく。

 

お産は、もっと手こずると思っていた。私は昔からなにをするにも人より時間がかかるので、出産も初産の平均以上の時間をかけて、もしかしたら一日がかりで産むのじゃないか、と思ったりしていた。

結果は10時間を切る安産で、そりゃそれなりに騒ぎながら産んだけど、あれ、思ったより…という印象だった。

ここが人生の大一番、という実感は終始無くて、分娩室に移動してきて、さあいよいよです、というときも、その部屋にしつらえられたさまざまな機械や道具、スタンバイしている助産師さんや先生を前に、いまこの部屋の主役は自分であるという事実に少し戸惑いというか、恥ずかしさを覚える、変な余裕まであった。

陣痛中、初めの内診で子宮口の開き5,6センチ、というのを聞いて、「もう40%くらいは来たかな」と、パソコンで何かをインストールしている作業進捗のバーを思い浮かべていた。

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全体で何時間かかるかは終わってみないとわからないけど、時間が経つにつれ終わりに近づいていくのは確かで、それが気持ちの拠り所だった。

 

お産はほんとに人それぞれだけど、私が感じたのは、例えるなら長距離走を走っていて、とてもしんどいのに立ち止まることを許されない、そういう大変さだった。

誰しも、ひとたび始まれば自分で迎え撃つしかないので当たり前なんだけど、古今東西、女の人はすごいなぁと思った。

ちなみに、不安や恐怖はなかった。それはたぶん心のどこかでお産の進捗が順調であると分かっていたのと、何より助産師さんたちのおかげだった。

 

 

あれこれ書いたけど、一番印象に残ったことは、産前・出産・産後はすべて地続きだということ。「ついに、この日が、この時がやってきた…!」というドラマチックな気持ちには一度もならなかった。

さわやかな秋晴れの朝、破水して産院へ向かっているとき、車から眺めた山々の紅葉がきれいだった。

病院で出てきたお昼ご飯が豪華で美味しくて、感激した。陣痛が始まると食事どころじゃないと聞いていたので、晩ご飯も楽しみだけど、そのころには陣痛が始まっているかな…と心配した。

無事に晩ご飯を完食してから、緩やかに陣痛が始まった。痛みと痛みの間の時間に、リラックスしようと思って小声で歌を歌っていたら(個室だったので)、体力勝負だから寝れる時に寝てくださいねと様子を見にきた助産師さんに言われた。

間隔が狭まり、痛みが強くなってきて、たまらず声を上げてしまうことが増えたとき、これ、側で見てたら、めちゃくちゃ取り乱してるように見えるのかなぁ…と考えた。自分としては、たしかに今いっぱいいっぱいの状態だけど、そんなに我を失っているわけではないな、と思ったりした。

分娩室で台に上がって正面の壁にかかっている時計が、東京の自宅のリビングにかかっているものとよく似てて、あ、うちのに似てる、同じメーカーかなと思った。(目を凝らして確かめる余裕はなかった)

産まれてあれこれ処置を終えて部屋に戻るとき、看護師さんが「いいお天気ですよ」と教えてくれた。一日前と全く同じような気持ちのいい朝の光が、廊下に明るく差し込んでいた。

無事に産まれたことも、今日がいい天気であることも、どちらも嬉しかった。

 

全然順序よく書けなかったけど、私の出産はこんな感じでした。

この段落で締めようと思って書き出したところからまた芋づる式に書きたいことが出てきて、長くなってしまった。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

 

 

 

 

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嬉しいメルマガの話など

 

少し前にオンラインショップで買い物をした和菓子屋さんから、メールで新商品のお知らせが来た。

あ、会員登録したときにメルマガ配信拒否しそびれた・・・!と思ったのは一瞬で、メールを開いたら写真がバーンと出てきて、その新商品がなんとも美味しそうで、教えてくれてありがとう、と素直に思った。(文章がシンプルなのも良かった。)

メルマガの類はたいてい配信拒否するけど、とりあえずこれはこのままでいいかな。 

贈答品を選ぶ・送ることは、失礼のないようにとあれこれ考えるのでエネルギーがいる。でもその中でおいしいもの、おいしそうなものに出会うのは楽しいし、回を重ねるうちに次第にいい感じのお店・品物のリストが増えていくのは、手札が増える感じがして、良い。

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全然違う話だけど、この間久しぶりに口内炎になった。

口内炎は、できる場所にもよるけど、何を食べても痛い、歯磨きのときも痛いしで、たとえば太ももをぶつけて内出血するのなんかと比べてずっと気が滅入る。(紙や包丁で指先を切るのとは良い勝負だな。日常の何気ない動作で頻繁に当たる部位の怪我は小さくても辛い)

 

でもまあ良かったなと思うことの一つは、夫も口内炎にそこそこなるので、辛さをわかってもらえること。口内炎できた、と伝えて、フーン大変だね、という返事ではなくて、口の中のどこか、どうやってできたか、ピークはこれからか、とかいろいろ聞いてくれる。全ての話題でバチバチに噛み合うわけではないので、なんかこれが地味に嬉しい。

あと、治ってきたときの喜びが大きい。舌で触って、あ、痛くない!と気づいたときの感動。ちょっとラッキーなことがあったみたいに、気分がよくなる。

だから口内炎になるのも良いよね、とは思えないけど。

 

口内炎のことは、おんなじようなことを前にも書いたかもなあ。口内炎、できるたびに同じ気持ちになるもので…。こんな感じのを前にも読んだよ、と思われたらすみません。)

 

 

 

 

 

 

 

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おやつにあんこ

最近のおやつは、お手製のあんこ。

里帰りしていたときに母の作ったおぜんざいをよく食べた。小豆を煮潰して、まとまった量を作って冷凍していると聞いて、東京に戻ってから、自分でもやってみた。

ネットで見つかるレシピよりは砂糖を控えめにして(小豆250gに対して砂糖110g)、砂糖を煮含ませる前に煮汁の大部分を捨てる。水分少な目、ぐちゃぐちゃのほうが好みで、あんこをそのまま食べる感じ。(白玉を作ったりお餅を焼いたりする手間は省いて)

食べ過ぎてももたれないし、お通じに良いしで気に入っている。

 

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きのうの晩御飯は塩鮭を焼いたのをメインに、白菜と鶏ひき肉の煮物、トマトとお豆腐のサラダなど、いろいろ作った。献立のバランスがよく、いろどりもあって、きっと美味しいぞ、と味も自信があったのに、結果はどれも今ひとつで、がっかりしてしまった。

敗因はなんとなくわかっていて、子どものところと台所を行き来して、料理の合間に子どもをあやしていたというよりは、子どもをあやす合間に料理をしていたからだと思う。味見もしなかったし、作る分量に応じてレシピ記載の調味料の量を調節するのもざっくりだった。

別に食べられなくはないし、栄養は摂れているんだけど、思い通りにいかないのが情けなくて、気持ちが荒れていたのを、きょう朝から小豆を炊いてあんこを作って食べて、回復させた。(一度作っておくと4,5日もつ。よっしゃ作り置きできたぞ、これでしばらく大丈夫、というホクホクした気持ちが良い。)

 

 

 

 

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またスマホのこと

今日は朝からずっと曇り。昨日布団を干しておいてよかった。


スマホの及ぼす害についての本を読んで、一番納得した点は、ネット上で大小さまざまな情報を雑多に吸収する過程でその処理に脳は疲労するということ。

そのために日々のこと(勉強や仕事など)に取り組むエネルギーが知らず知らずのうちにすり減っているのだと。

 

育児で忙しくなり、スマホでニュースをザッピングしなくなってから、なんだか気分が良くなった。用事を複数抱えても、追われている感じがなくなった。用事は自分が進んでこなすもの。後回しになっちゃう、のではなく後回しにする、のだ。(結局手をつけられてないんかい、という感じだけど、それはまた別の話)

気分というのは曖昧なものだけど、自分ではっきりそう思う。漠然とした気ぜわしさがなくなり、何かに腹をたてることが減った。

育児にかなりの時間を充てているけど、せっかく育休で家に居られるのだし、隙間の時間を縫って何か学び直そうかなという意欲すら頭をもたげてきた。

 

一つ前のブログでも書いたことだけど、スマホはいろんな機能が搭載されているのが、便利なようで、よくない。

一番の問題はネットで、何か目的があってスマホを手に取っても、その前にとりあえずネットを開いて・・・というのが癖になっている。

電話なら電話機で、インターネットで調べ物をしたいならパソコンで。という風に、一つの用事に一つの道具、という従来の当たり前が、人の自然にとって無理がなく、一周して何より洗練された仕組みのように思えてくる。(そういえばシャンプー・コンディショナーのセパレート型に対してオールインワンの方が高級というイメージはないのに、無数の機能が詰め込まれたスマホは、そのようには見なされないのだな。)

 

かといって、いまさらノースマホ生活は難しい。ともに暮らす夫、実家の両親などにも面倒をかけるし、何よりこれから大きくなる我が子にスマホとの付き合い方を教えていかないといけない。

今の時点で何か良いやり方を知っているわけではないけど、とりあえず「付き合い方を考え、心して使わないといけない道具だ」ということだけはわかってきた。

あと、スマホが大人にも子どもにも魅力的なおもちゃであること、その中毒性を自覚し、それに匹敵するくらい面白いものを身の回りに絶やさないということかな。

私の場合はそれは絵や本だけど、要は、乗せられ、連れ回されるのではない、主体的な遊びが大事で、そういうものが人を芯から元気にしてくれるのだと思う。

 

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