気分の変わりやすいこと
久しぶりに服を買った。ズボンなので、ふつうなら試着して買うところを、ネットなので、もしかしたら、丈とか太もも周りとか、微妙に合わないかもなぁ…と考えるとあまり高いものは買えなくて、そこそこのお値段のものを注文した。
手元に届いて、しばらく未開封で部屋の隅に置いておいたのだけど、新しい服があるというだけで、ずっと気分がよかった。何をしていても余裕がもて、寛大になれた。
いやいや、でも履いてみたらがっかりするかもしれん、と思い直し、でも期待が抑えられずにウキウキし、いやいやネットの買い物だし、思ってたのと違うことの方が多いぞ、と言い聞かせて、でも気がつけばニヤニヤしてる、そんな半日を過ごした。
こういう気持ちは繊細で誰かと共有しようとすると形が変わってしまうので、私いまこういう理由でこんな良い気分です、ということは夫には言わなかった。
日中子供がお昼寝をしてからやっと、履いてみた。結果、なんと、着心地も見た目もイメージ通り。ああここのブランドにしてよかった。このサイズでよかった。
(一応デニムのつもりです)
たまたま今回は運が良かったんだろうけど、勝因があるとしたら、ズボンなど、本来試着して買いたいものをネットで買うときは、着慣れたブランドを選ぶことは必須だと思った。
同じサイズ表記でもブランドによって微妙に違ったり、雰囲気との相性があるので。
話が変わります。
人に腹を立てている時は、これはひどい、もう我慢できない、と強く思うのだけど、ちょっと何か他のことをしてふと我に帰れば、虫刺されの治りかけ程度にどうでもよくなっている。リアルタイムで衝動を意識してコントロールできたらなぁ。
頭の回転が遅くて口が回らないから、取り返しのつかない一言を発することはあまりない、それでも、冷静でいられたらもっとこうしたよなぁと思うことは山ほど。
先日コロナのワクチンの1回目を打ってきた。早く2回目も終えたいな。3週間が長い。
ついこの間までコロナ生活の窮屈さをぼやいていたけど、気がつけば違う局面を迎えている。わからないことが多いと、正しく怖がるのが難しい。
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今年の夏は
これは大事だ、と思って、なくさないように冷蔵庫の横にマグネットで留めておいた書類を、そんなふうにしたことをすっかり忘れて、きのう探し回った。
困ったなぁと思って、ふと、さすがに私もああいう書類は後先考えずどこかにポイっと挟み込んだりはしないよな、と考えたら、思い出せた。
ものをなくした時は、その当時の自分の立場になりきって行動を辿ると見つかったりします。
オリンピックが始まってしばらく経った。
この状況下で、どうよ、という雰囲気もあるけれど、張り詰めた空気の中、人が並々ならぬ集中力で何かに取り組んでいる様子はやっぱり魅力的で、見ていると引き込まれる。
また話は変わって、育児のこと。
子どものお世話が中心の生活にも慣れ、それなりのリズムが出てきた。お風呂入れやら授乳やら、一つ一つの仕事も当たり前になったけど、子どもの動きが多彩になるにつれ、じっとしていてくれないシーンが増え、それぞれの難易度は絶えずじわりじわりと上がっている。
そういえば、寝返りを打つ頃までは、自分のお昼ごはんにサバを焼いたりお味噌汁を作ったり、またおやつに食べる小豆を炊いたりしていたけど、そういう時間はなくなったな。
あと、週に二回ほど、新聞を買って読むようにしていたけど、それも止んでしまった。
伸びてきた爪を切りたいと思って、実際切るまでに3,4日はかかる。(それはただ自分がだらしないのと、夜に切るのを避けているせい)
単身で育児休業中のいま、私が倒れたら生活が回らないので(コロナ禍ということもあるし)、無理はしないで、ちょっと自分に甘いかなと思うくらいでも、のんびりさせてもらおうと思うけど、やるべきことには意識的に時間を割かないと、流れていってしまう。
復職がもっと間近に迫ったら、またきちんと新聞を読みたいな。(って書くと読まない気がするな。いや、読まないとな。)
もう、なんの気兼ねもなく、夏祭りとかに行きたいですね。
育児にドタバタして、スーパーや児童館に出かけては暑い暑い言っていると、毎日、別に窮屈は感じないで過ぎていくけど、時々立ち止まって、そんなことを思う。
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心構え・インゲンの話
このところ、なかなかブログが書けない。
あ、これ書いておきたいなと思うことがたびたびあり、それが旬を逃して記録し損ねるのを残念に思う反面、小さな子がいるんだから当然のことで、後になって「なんかあっという間だったなぁ、あの時期のことは全然覚えてないな」となるので良い(=当然だし、好ましいこと)ような気もする。
子育てに対する姿勢は、たぶん何も考えなければ、自分が育った家庭のやり方を踏襲するだろうと思う。
よく「反面教師」と言うように、自分はああはならない、こうはしない、と自分の経験を叩き台にして方針をとっていくことは、私には考えられない。(それくらい、両親の姿勢が、こうしてくれてよかった、と思うことだらけなのだ。それは特に地元を離れ、また社会に出て、圧の強い・激しいものに触れて疲れるたびに感じるようになった。立ち返る自分の原点がシェルターになって、やってこられたと思っている。)
なので私の場合は、自分がされたようにやろうとして、ちょっと待てよ、と意識的に立ち止まり、私には良いけど、この子にとってはそれが一番の答えか?と問いかけることが必要になると思う。
話は変わって、きのう、いただきもののインゲン豆を煮ていて、授乳の最中に放っておいたら派手に焦がしてしまった。
40本以上も、こんな大量にインゲンを手に入れることなんてないのに、もったいないし、申し訳ないしで、落ち込んだ。
焦げがマシなやつを10本ばかり無理に取り出して、切ったトマトと一緒に、濃すぎる味を中和して食べた。
内容と関係ない絵です。
暑くなってきて、子供の昼寝の時の空調と服装がいつもわからず、これでいいんかね?大丈夫?と、まだ返事もできない娘に確認している。
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できたてはおいしい
数日前に作った、豚バラとニラの炒めもの。出来上がって火を止めて、どうかな、と少し口に入れたら、それはそれはおいしかった。
ふつうの材料で、ふつうの料理の腕前で、それでも出来立てというのはほんとにおいしい。
豚肉で思い出したこと。豚こま肉の使い道に悩むことが多い。一週間七日の夕飯はいつも、メインを魚二回、鶏一回、豚三回、ひき肉一回と決めて献立を組み立てる。
つまり豚肉と向き合う日が多い。豚バラと豚ロースには苦労しないものの、豚こまはいつも似たようなレシピしか浮かばず、まあバラを使うレシピを豚こまでやっても支障はないことも多いけど、ああ何作ろう、何作ろうとなかなか決まらない。
よくやるのは
豚丼(しょうゆみりん生姜にんにく系の、スタミナ的な味)
玉ねぎ等と炒めて塩ダレを絡める
玉ねぎやきのこ類と炒めてポークチャップ
肉野菜炒め
ナスと豚肉の味噌炒め
あたりで、なんだか変わり映えがないなぁと思って、いつもレシピサイトをぐるぐるしている。(お手軽なお肉だけに使用頻度が高くて、それゆえレパートリーが欲しくなるのかな)
そんな中、そうだこういうレシピがあった、と思い出して、きのうは豚こまをピーマンと玉ねぎ、にんじんと炒めて酢豚風にした。
風、と書いたのは、揚げないから。下味をつけたお肉は片栗粉でまるく固めて、色よく焼くだけ。
これがまたおいしく出来て、よかった。
どこかに豚こまレシピ一覧をメモしておけばいいけど、毎回それを見て選ぶのはなんとなく味気ない。
今後もこんなふうに頭の中から引っ張り出したり、新たにレシピを検索したりしていくだろうな。
お酒はほとんど飲めないので分からないことなんだけど、ビールを飲み干してクーっと言うの、こういう感じかしら、とオレンジジュースで想像する。
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育休中の心構え
雨の中散歩に出かけた。そこかしこで咲いているあじさいは、雨で濡れた葉っぱがツヤツヤとして、きれいだった。
足元が悪いので早めに切り上げて、スーパーに寄って帰って来た。今夜はぶりの照り焼きと、ナスとひき肉を使ったおかず。早めに献立が決まっていると楽だ。
一日の中で、朝がいちばん気分がいい。
ええと今から洗濯機回して、その間に朝ごはんのお皿を洗って、コロコロをして掃除機をかけて…と、サクサクやることをこなしていくと、ゆとりのある一日が過ごせそうな予感にわくわくする。(もちろんその合間に子どもと遊んだり授乳をしたりする)
結局は、どんなに早めに家事を片付けようが、子どもが長めのお昼寝をしてくれようが、たいてい夕方からドタバタするのがオチで、なんでいつもこうなるのかなと、一日の終わりにぐったりしながら思う。
でもこれが育児なのかな、一日中一緒にいれるのは育休が明けるまで、思う存分振り回されよう、そう思う。
まあどうしてもこちらの都合でコントロールする部分もあるわけで(大人もご飯を食べるしお風呂も入る)、一から十まで相手に沿わすわけにもいかないから、出来るだけゆったり構えていたい。
(というのは理想で、日々いちいちびっくりしたり脱力したり、まだ赤ちゃんだけど、娘に悪いように伝わってないといいなぁと願う)
文章の内容とは関係ない絵です。
ちょくちょくブログを書きたいなぁと思って、しばらくは、描けるときに気ままに描いた絵を、文章と関係なく載せていくことにしました。(文章に合わせて絵を描く間に文章が自分の中で風化し、アップする気がなくなるのを避ける作戦)
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今日の晩ご飯・本の話
実家からパセリを送ってもらった。普段使わない野菜が手に入ると、新しいレシピに挑戦したりして、献立が一風違う感じになるので楽しい。
ものによっては下処理から初めて、これどうしたらいいん、と手間に感じることもあるけど、料理が出来上がり、食べる段になるといつも、送ってもらってよかったなぁと思う。
まあしかし今回、パセリはほんとにどうしたらいいか分からず、(味が思い浮かばず、こんな使い方ができそうだという見当すらつかない)ネットであれこれ調べて、チーズを挟んだポークソテーのソースに使うレシピを見つけた。これは美味しそうだ。
それでさっき、お肉とチーズを買ってきた。上手にできるかな。
和風や中華味のメインおかずはよくやるんだけど、洋風のは、あまりやらない。ドタバタしている毎日の中で、結局やりやすいの、思い浮かぶのばかりを作るので、こういう機会でもないとレパートリーが広がらない。ただ、いただいた野菜を無駄にしたくないという思いに背中を押される。
最近読んだ本に、元気付けられた。誰かに相談するよりも、それでいいんだと言ってもらった気がした。それで初めて、自分のやり方を俯瞰して、メスを入れる気にもなれる。
趣味や考えに近いところがある人の文章に触れることは、時々ものすごく大切だ。
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夕飯のこと、最近の心配
きのうの夕飯のメインに、レタスと鶏肉を使った。
鶏肉には片栗粉を多めにまぶして、片面が焼けたら、ひっくり返して上に大量のレタスを乗せて蓋をする。で、しゅんとなったら、混ぜておいた鶏がらスープの素とごま油メインのソースを絡める。
ソースを絡める際に、茹でたブロッコリーも放り込んだ。案の定、あんなに嵩(かさ)高かったレタスがどこいった?と思うくらいしゅんとしたので、ブロッコリーのボリュームが丁度よかったし、何より花蕾に味の絡んだブロッコリーがめちゃくちゃおいしかった。
これまたやろう。
また緊急事態宣言が出てしまって、近所の図書館や児童館が閉鎖された。同じような月齢の子供を連れたお母さんと自然に話ができる場がなくなってしまって、ちょっと困っている。
公園で話しかける、とかいうのは私にはとても難しい。
行きたいところへは一人でも行ける人間でありたいとか、群れるのはちょっと、と思って生きてきた。(女友達も少ない。)でもここにきて、子どもが毎日ただ私や夫とべったりなのが良くないと感じ、自然な形で誰かと関わりを持ちたいと思った時に、自分の社交性の無さが身に染みてきた。
本当に自分というものを持っていれば、どこでも、自分から話しかけることが出来る気がする。結局ただ引っ込み思案なだけなんだな。
生きていると、自分の性質とはしばしばモロに向き合わざるを得なくて、それがしんどいけど、同時に、回り道をしないで歩いている感じがするのは、良い。
(この間マンションのエレベーターで赤ちゃん連れのお母さんと一緒になったけど、すぐ上の階で降りて行かれたので、話しかけそびれた。エレベーターの中で初対面の人に簡潔に世間話をするのはめっちゃ難しい。)
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