暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

昭和ロマン

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ニュースやドキュメンタリーで、
昭和の映像が流れているのを見るのが好き。
ワカメちゃんカットの女の子を見て、
「この人はいまおばあちゃんになっているかなあ」と考えたり、
「お父さんが6歳のときの時代、こんなだったんだなあ」と感慨深く眺めたり。

映像の中の人々は、みんなその時代における現代を生きている。
せわしない表情を浮かべて歩いていたり、スターの来日にキャッシャしたり。
嬉しそうに、またせかせかとしたり、ときには心配そうに…
その時代の服装、ヘアスタイルに時代を感じるのと同時に、その当時の「いま」を活き活きと生きる姿が、世代を連ねていまの時代に繋がっているのを、じんわり感じる。

国内の経済や、国際関係について心配事が絶えないけども、現代はいくつものそうした土台の上にある。人というものを単純に「頼もしい」と感じる。



その時代をじかには知らないのに、「懐かしい」とはっきり思うのが不思議だ。
懐かしい、という言葉に収まらないくらい、焦がれるほどうっとり眺めてしまう。
どうしてもあの時代には行けないんだなあ、と。

単にロマンを感じているに過ぎないのだろうか。
例えば西洋の、ジャンヌダルクとその国、その時代に感じる好奇心や憧れをロマンと呼ぶのなら、それとは確実に違う、もっと親しみのこもった何かだ、と言いたくなるけど…。

自分や、自分の国のルーツに触れることがこんなにワクワクすることだとは、社会人になるまで知らなかった。

学生のときはやたら海外に目が向いていたけど、ここ数年は自分の足元のことを知るのが面白い。




ロマンという言葉の意味をネットで検索してみたら、
「自我の欲求からくる実存的不安、さらにはそこから派生する個人的感情、オリエンタリズム、神秘性を追求した精神主義、精神運動の総称」と出てきた。(ニコニコ大百科より)
「冒険や一大事業のような夢をかきたてるもの」(語源由来辞典より)
ふだんカタカナで気軽に口にする「ロマン」のイメージに比べて、深くアグレッシブな定義が与えられているんだな。

それなら、この気持ちをロマンと呼んでもいいか、という気がした。