きょう、職場で人が怒るのを見ていて、それを好んで眺めている自分に気がついた。
職場で言葉や顔に怒りを表している人を見るのはなかなか珍しいし、私があまり激しい怒りを抱えないタチだからか、つい観察してしまう。その場に立ち会っていなくても、聞こえてくるなら耳をそばだてて聞いてしまう。怒る本人にしたら、自分のまっとうな感情に好奇の目線を注がれるなどとんでもないだろうけど。
怒りをあらわにすることが未熟で浅はかなことだという社会のイメージ。
でも、その暗黙の縛りを破って感情を露わにしている人を見たとき、よっぽどのことがない限り、苦々しく思ったりはしない。
むしろ、人間らしくていいな、と思う。
(そういう“上から目線”を我ながらいやらしいなあと思うけど、それはまた別の話)
他の人が気色ばんでいるのを肌で感じたときには、誰もが、ふだんそっとフタをしてしまっている自身の大小の怒りを思って、「口にするのもアリなんだ」「みんな同じなんだ」と慰められるんじゃないか。
あまりにも攻撃的な言葉遣いだったり、子供のように癇癪を起こして家に帰っちゃったりしたらダメだろうけど。
そんなわけで、
いつか自分が職場で怒ったり泣いたりしてしまったときは、「この様子を見て救われた人が少なからずいるはずだ」と思おう。(なんの備えだ)