遠いあの日の頭の中
あのとき自分はなにを考えていたのか。
18年育った土地を離れて東京へ行く日の前の晩、床に就くとき。その日の朝、家を出るとき。
涙は流さなかったし、堪えていた記憶もない。そのときはまだ元気だった犬と、庭先で撮ってもらった写真が残っている。(それもめっちゃ笑顔で)
私が家を離れてしばらく、父は「お母さん寂しがってるで」と言い、母は「お父さん寂しがってるわ」と言った。
自分が寂しいとは言わなかった二人。
(あとから母は言ってたけど。慣れるまでポカンとしてたわ、と)
あのころ私はなにを考えてたんだろう。
大学時代、高校からの友達がmixiの紹介文に「思慮深いお方です」と書いてくれた。あのころから今と同じ、頭でっかちだったのだろうとは思う。
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母は学生のとき、海外留学をした。
その当時としては、珍しいほうだったのではないかと思う。それなりの思惑があったのだろうと好奇心が湧いて尋ねてみたら、首を傾げて「あんまり覚えてないなあ」と。笑いながら「なに考えてたんやろうねえ。そのときは何か考えてたんだろうけどねえ」
きっとその通りで、私も10代のころから、その場面場面でいろんなことを感じて、自分なりの思いを持ったはずだ。そのときは、その思いは自分によく馴染んで、当たり前のように胸の中にあったのだろう。
けれど、一度形をもった思いは、時間とともに崩れて流れて、二度と同じ形を作って迫ってくることはない。
「思い出す」ことはできない。
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10年後、20年後にこのブログを読み返したら、どんな気持ちになるだろう。
高校の頃に書いていた日記は、なんともいえない恥ずかしさが湧いてくるもので、実際何ページかはちぎって捨ててしまった。
このブログは20代後半になってから書いたもの。それなりに素直に面白がりながら読めるんじゃないかと思う。