暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

猫の絵・生活のなかで悩むこと

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久しぶりに猫の絵を描きました。
今夜は時間があったので、文章もすきなことをのびのび書こうと思ったのですが、なんだか気持ちが疲れているようで、なかなか出てこない…。

そういえば、こないだどこかで読んだ文章で、
気が沈んでいるときは無理に気晴らししようとしないでいい
というのがあった。
自然に任せて、もうとことん落ち込むこと。
いきつくところまでいったら、また浮かんでこれる…とまで書いていたかは忘れたけど、そんなニュアンスの話だった。
そうか、そういう姿勢でも構わないのかもな、と思った。
無理に何とかしようとせずに、
悲観的になるのをあえて止めないで過ごす。
やらなきゃいけないことを全部放っておいて、
好きなだけ寝て好きな時に食べて、
気が向いた時だけ出かける。
何にも縛られない過ごし方をするうちに、
嫌なことの何もかもをじっくり認めて、
最後には逆に開き直れる。
…そんなことが起こるのかもしれない、と。

けれど、すぐに「それって難しい」と気づいた。
私はごはんと睡眠を大事にせずにはいられない。
部屋が汚れているとくつろげないから掃除もしてしまう。
ちゃんと寝て、食べて、生活してしまう。
そのうちに、悩みは解消されないままでも、
気持ちはとりあえずシャンとしてしまう。

週5日仕事をしているからなおさらコンディションを整えることが身に付いている、ということは確かにある。
しかし、そうでなくとも、そんな気ままで不規則な生活はしないんじゃないかと思う。誰かがごはんを出してくれても、掃除をしてくれても、「いつまでも寝てていいよ」と言ってくれても。







ただ、健康な生活でシャンとした気持ちは、そのほとんどが平日の仕事で消費されてしまう(気がしている)。
じゃあどうしたらいいか。
精神面のことも含めて、体力が足らないのだと気づく。
運動したらどうかな。
何か変わるかな。
一日の、一週間の、一か月の時間は変わらなくても、体力をつけることで、より有効活用できるようになるかもしれない。
そんなことを考える。
たくさんの大人が限られた時間を使って、
わざわざお金を払ってまで運動をしようとする理由が少し分かった気がする。