両親が夏野菜をたくさん送ってくれた。
これはうちの庭のプチトマト。
実はプチトマトは少し苦手です。
別に食べられないほどではない、ものによっては美味しいけど、あの凝縮されたトマト特有のえぐみが気になる。
でも、送られてきたこのプチトマトは抵抗なく食べられました。
「おいしい、かわいい」と思いながら、ぱくぱくと。
よく、トマトやらピーマンやら、野菜が嫌いな子供が、自分で育てたものを素直に食べられるのと同じだな。
「う、うちのトマトや…!」
という特別な思い入れが舌を変える。
(まあ、もともとプチトマトに対しては、総合的に判断すると好感は抱いている。栄養があるし、お弁当の隙間は埋まるし)
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二人で暮らすというのは、
自分が自然に素直に過ごしているだけでは、大いに不足があり、相手を疲れさせることがあるとわかった。
気を張り巡らせること、ふーんと眺めるだけでなく捕まえて考えること、それを習慣にしていく必要がある。
悪意はなくても、毒になるなら、そのままにしていてはだめ。
意識を変えるのはきょう明日でできることではないけど、とっかかりや、一歩一歩は難しくないはず。
その工程をどこまで細かく砕いて飲み込んでいくかは自由。
時々、こういうことを書いて、抽象化、客観視をすることを忘れないようにしたい。
そして、足りていないのは運動と睡眠。
これもテコ入れしていかなければ。
さっき、好きなお笑い芸人のコントの一つを久しぶりにユーチューブで見た。
これまでに何度も見たコントなのに、
これまでは感じなかったメッセージに気づいて、少し感動した。
好きな芸人だから見るけど、うん、好きなコントベスト5には入らないなぁ。
笑いはするけど、どこにも触れられない、素通りしていく感がある。
そういう位置づけのコントだったから、驚いた。
いまの自分の中、抱えるものが変化したせいか、そのコントが刺さった。
こういう気づき、とても嬉しい。
プレゼントのよう。
(気にならない人もいるだろうけど、気になるひともいるかもしれないから、メモを兼ねて書いとこう。バナナマンの「ギリギリセーフ」)