二人暮らし*会社のこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや動物のスケッチを描いています。

暮らしの変わりよう


晩ごはん、朝ごはん、お弁当を作る

ということは一人暮らしのときからずっと続けていることだけど、二人暮らしになって変わったことがあります。

「ご飯を作らない」という選択肢がなくなったことにより、

ひとつには楽になりました。
一人のときは、サボってもいい、誰にも迷惑はかからない。
常にその状況が約束されており、でも、だめなの、それじゃ…えいやっ。
と抜け出して、台所に立つ。いつも精神力が必要でした。

それが、なくなったのです。
作るのが当たり前。毎晩お風呂に入る、それと同じような行為になりました。
だから、作る前のエネルギーが不要になりました。楽ちん。


もうひとつには、単純に、忙しくなりました。
何ヶ月か前までの「今夜は何しようかな」はなくなりました。
平日夜の時間は、体感的には8割方が台所仕事で埋まります。
ついこないだまで、いつも自分を取り巻いていた、ほやんほやんとした空白の時間はなくなりました。
大きく、まるく、輪郭も見えないくらい、空気のようにそこにあった時間は、今は細長く、家事の合間合間に突き刺さるように収まっている、密度の高い、はっきりそれと分かる形状になりました。(板チョコを横からみたときみたいな感じ?)
あれとこれ、今週中にはやらなきゃ、今夜できるかな、手はつけたいな。
あ、やっぱりできなかった。
そういうシチュエーションが増えました。

甘えもあると思います。
隙間の時間だって使いようによっていくらにでも活用できる。
ただ、そういうことを考えるのは、要するに「忙しい」という状況であり、おお、私のは生活は変わったんだなぁ。としみじみ思います。


忙しくも中身の詰まった日々が楽しい。
誰かと暮らすって良いものです。

だけど、あまりに急ぐとコケるので、気をつけたいところです。
指のケガや逆むけが増えて、ここのところ生傷が絶えない手。



・・・・・・



最近、仕事中にとても眠い。
たぶんそれは席の近い人にはバレていて、考えるたびに、まずいよなぁと思う。

一人暮らしを始めた当初、自分一人の世話で消耗していたけど、年々慣れ、時間を作れるようになった。
いま、二人暮らしの初めの壁に出会っているのだと思います。やることなすこと効率が悪いし、息抜きもヘタ。
一年経ったらどんな風になってるかな。

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花と鳥と


春先に引越しをして二人暮らしになりました。
住処が新しくなり、住む地域も変わりました。

毎日、見る風景が新鮮です。
近所の道路脇の植込みの中に、ある日蕾(つぼみ)ができていました。まだ肌寒いころには気付かなかった。
何かしら、と横目に通り過ぎる日が続き、あるとき鮮やかな色がその蕾から顔を覗かせ、一週間もしないうちに、おしゃれな花が開きました。

大きくて、つつじのような鮮やかな色だけど、花弁がいびつで、そこがなんとも控えめで。

なんて言う花が分からないままだけど、かえってその花に対する関心が持続しています。


また、半月ほど前に駅に向かう道すがら、ツバメが飛んでいるのに気づいて、後を追ってみたら巣を発見しました。ヒナの声も聞こえました。

前に住んでいたところではツバメは一度も見かけなかったから、心が躍りました。

今は姿を見なくなったので、もう巣立ってしまったんだと思う。
あんまり巣を見ていたら親鳥が危険やストレスを感じて、予定どおりに子育てしなくなるんじゃないかと、あんまり見ないようにしていたけど、一度くらいヒナの顔を見たかったなぁ、と思いました。

ここ数年で春と夏を好きになりました。
春は、そわそわと落ち着かない変化の季節、夏はひたすら暑い、だったけど。
空と緑の色の鮮やかさが嬉しいと思うようになりました。

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少し前に絵画教室に通っていたときに描いたものです。

こうやってじっくり描く時間がないのがもどかしい。

化粧水のこと


使っているクレンジングと洗顔料が少なくなってきたので、買いに行きました。
こういうものは一度買うとかなりもちます。
きちんと控えていないけど、たぶん半年は大丈夫な気がする。
シャンプーとリンスは5ヶ月〜半年くらいで詰め替え用を買い求めます。

なので売り場に行くときはいつも久しぶり感があります。とくに女性の顔がらみの商品の豊富さに焦ります。
私は化粧を始めたのは大学生のころでした。そのときは、覚えている限り、朝晩のケアは化粧水と乳液の二つが主(おも)でした。
そのほかにもあったけど、あくまでプラスαという印象で、その二つ以上使うのは芸能人くらいだと思っていました。

でも本当のところはどうなんだろう。
実家のラインナップが当たり前だと思っていたけど、家庭によって違っただけかもしれない。
「これとこれ、どう使うの?順番はマストなの?」と惑わせるお店の商品たちは、それにあたるものが昔から広く買われていたのかな。



ところで、お風呂から出てすぐ化粧水をつけるのが良いのか、少ししてからつけるのがいいのか、わからないまま過ごしてきました。

「すぐ、たっぷりビシャビシャに使ったほうがいいとも聞くし、そうじゃなくてしばらくそのままにして自分の保湿力に任せないと肌が化粧水に頼りきりになっちゃうとも聞くねぇ」
と昔母が話していて、どっちなんだろう、とわからないまま過ごしてきた結果、時々はほったらかし、時々は使う、という半端なことを続けています。

こういうことは長く続けないと結果はわからないので、何を信じるかだと思うのですが、神経質になるのは良くない、とは思います。


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きのうはこんなのを描いて母に送りました。


気の張り・緩み


昨日と今日と、体の調子が変です。

会社に着くと花粉症のような症状が出る、午前中から強い眠気に襲われる。

黄砂が黄砂が、とニュースで言われていたけど、連休中はくしゃみ・鼻水はなかったから、別の原因かなぁと考えています。

連休でリラックスして、気が程よく緩んで、それまで閉じ込めていた疲れが出てきたのかなと。
で、まだ休みが続いていたらよかったけど、もう仕事が始まってしまったので、出てきた「疲れ」達も困っている気がします。

気分がすぐれない時、台所に立つとシャンとして元気になることがあるんですが、これは気の張りで不調を封じ込めてるんだろうなぁと思います。
具合が悪かったのが楽になるので、あ、よかった、とそのときは嬉しいんですけど。

(じゃあ職場に来ても同様にただちに元気にならないのはなんでだろうか)


これはやらなきゃいけない、と思うとある程度体は騙せてしまうようです。

どんな生活、仕事をしていても、(べつに極端にハードなものを強いられていなくても)体調を崩すことはあると思うんですけど、心置きなく体調を崩せる余暇がほしいです。

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最近生活に変化があって、近々このアカウントの紹介文やタイトルに変更を加える予定です。
Photoshopを使わなくなったのと、一人暮らしから二人暮らしになりました。

内容はそのままで、身の回りのちょっとしたこと、内面的なことを書いていくと思います。

カレーのおいしさ


カレーが前より好きになりました。

ふつう、料理は人に作ってもらうほうが美味しく感じると言うけど、いま、自分が作ったカレーがおいしい。

子供の頃、カレーに特別な執着はありませんでした。
好きだったなぁ、と思い出すのは、ハンバーグと付け合わせにケチャップスパゲティやポテトサラダ、コーンスープがある献立。
洋食寄りで、おかずがいろいろある方が嬉しかった。

学生時代、まかない付きの寮に住んでいたとき、たまに夕飯がカレーの日がありました。
その日の献立は、カレー、サラダ、果物。
皆こぞってお代わりするので、いつもより多めにご飯が炊かれていました。
私はそのときもテンションが上がることはなく、「いつも通り、ご飯とメインディッシュと、いろいろおかずがある方が嬉しいなぁ」と思っていました。

どうしていま、カレーがおいしいのか?
しかも自分がこしらえたカレーが?

さかのぼって考えて、なんとなく分かりました。

たぶん「楽だから」です。
おかずをいろいろ作るよりも。


この感覚、何かと一緒だな。なんだっけ…と考えて、あ、と辿り着きました。
カレーは、ワンピースに似てます。
それ一つで大部分が埋まって、あとは小さな要素だけ。
サラダも、靴やカバンも、メインに比べれば組み合わせを選ばないから迷うことが少なくて済むのです。

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その楽さが、自分のカレーの味を押し上げてるんじゃないかと思います。(市販のルーだし、実際味はたぶん普通です)


本当にカレー自体がおいしくなればいいですが。

お弁当に入れにくいのであまり作ってこなかったのですが、ちょくちょく作りたいな。

人前で話す


人前で話す機会がありました。

もともとあがり症で、社会人になって10年近くになる今でも緊張します。

そのときが近づくにつれて、心臓の音が大きく聞こえ始めます。
こんなの緊張なんかすることじゃないのに、そう思っているのに、脳はそう判断していないんだな。
そう考える余裕があるひとときがあって、そこからもう一段階。喉元まで心臓がせり上がって来たようになって、心臓の音が、耳元でバクバク聞こえます。
隣の人に聞こえてそう。
いや他人の鼓動が聞こえたなんて聞かないからきっと大丈夫だろうけど。
いやでもこれが自分にしか聞こえてないなんて信じられない
と思うくらい、和太鼓のように強くはっきりと鳴っていました。

なんとか喋りおおせて、一息ついて。
緊張しきりでも、こちらを向く面々を左から右に見回したこと、自分の声が聞こえていたことは変化だと思いました。

よく、にんじんとかかぼちゃが並んでると思えば…
とか言うけど、視線を持った面々を無生物と捉えるのは、とてもじゃないけど無理です。
たまに巡ってくる機会で、青くなったり開き直ったり、やってみて少し開けた気がしたりしながら取り組んでいます。

場数を踏んでいなくても緊張しない、そういう人もいる中で、苦手な性格にあたってしまったんだな、と折に触れて思います。



自分がなんの気もなく簡単にやっていることが、他人には難しいことだったりする。特技はそういうものだから、それに自身で気づいて、それを伸ばすことに尽力すればいい、とどこかで聞くか読むかしました。

それぞれ向いていることをやれば、皆が機嫌よくやれて、適材適所で仕事の質を押し上げる。全体にとって幸せなことのように見えます。

だけど実際は、得意寄りなことと苦手寄りなこと、どちらもやっている人が多いと思います。

苦手なことは、実はストレスを伴うだけではなくて、充実感を得やすいように感じます。
どんな一歩でも自分を褒めてやれるからです。自力で、それまでは見上げるだけだったステージに登ろうとしている。そこには冒険と、すがすがしさ。

私は人前で話すことが苦手なので、そこに自分中心のドラマがあり、発見があり、楽しいとは言えないながら「有意義な経験をした」感を得ます。


あえて苦手なことをやるべきだとは思わないけど、憂鬱なだけでなくて、面白みもあるんだなぁと思います。
「イヤだー」と強く感情的になって言いたくなることは、仕方なくでもやってみると、やっぱりそれなりに返ってくるものがあります。
憂鬱になったり焦ったり疲れたり、その嵐が過ぎてみないと分からないことだけど。

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とりあえずの乗り切り


仕事をしていて、なかなか結果や見返りが得られないときは、その仕事自体を好きになってしまえば楽ですが、それが難しいときは、自分の頭の中だけで仕事を何かに例えることが一つの方法だと思います。

世間の大人のなかには、真正面から仕事に取り組んで、結果が出るまでの苦難は当然としている人もいそうだし(強い)
また他の人は仕事終わりのビール頼みで乗り越えているかもしれない。
上に書いた方法はどちらかというと「逃げ」だけど、別に周りの士気を下げるわけでもないし、実質的にエスケープするわけでないし、それで落ち着くものがあるなら手軽で良いと思う。

ところで私はあまりお酒を飲まないので
「飲まなきゃやってられない」
は全然わからないのですが
「食べなきゃやってられない(お菓子を)」
に置き換えれば、わかる!と最近思いました。

仕事が立て込んでいたり、様々な理由で気持ちが低迷しているとき、お菓子があるだけで、だいたい全部なんとかなるような、見通せたような気持ちになることがある。

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近頃なかなかまとめて絵を描く時間がないので、ちょっとずつ描いています。
描いているのはある植物の、花が咲く前の状態のスケッチですが、花が咲くまでに完成させたい。

いつになるかしら。