暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

やりたいようにやること

最近、バットを買った。(バット=平たいステンレスのトレイのこと)
昔からレシピを見ていて、「肉をバットに広げて塩を振る」などと書かれていると、
そんなオシャレなもの、料理人然としたもの持ってないです、、!とお肉の入ってた発泡スチロールのトレイそのままや平たい目のお皿を出してきて対応していたけど、
最近、きのこや絹さやを買った時に入ってるトレイをなんとなく捨てずに取っておいて、
切った野菜を入れておくのに使っていたので、
あ、これはバットの買い時なんでは、と思ったのだった。
(野菜の入ってたトレイは便利だけどデコポコしてるし、小さいから歯痒かった)

結果、買って良かった。
自炊歴は長いけど、これまで、そんな本格的なもの要らないよ…と思っていたのが、いま自然と必要に感じたことが不思議だ。
(もしかして別段本格的なもの、じゃないのかな。卵を溶いたりするボウルなんかと同様、一人暮らしを始める時に買い揃える人も一定数いるのかな)

きのこや絹さやが入っていたトレイを取っておいて、切った野菜を入れておく、という行動については、なんでそういうことを始めたのか、我ながらほんとにわからない。
これまた、みんなそうなのか分からないけど、私の料理の段取り、立ち回りは、本能に基づいて、と言ったら大げさだけど、理由を聞かれても「なんとなく…(だってその方が良いと思ったから)」としか言えない衝動に基づいて選択されているので、分析するにも限界があり、家事の中で最も効率を重んじるべき仕事であることは頭では理解しつつ、根本的には、「やりたいようにやるしかない」類のことである。


(全然別の話題です)
いろんなことを、自分の中で解決する母親を見て育ったので、私自身夫婦間で摩擦を感じても、とりあえず自分の中に持って帰って考えますーという感じになる。
で、自分なりの納得の仕方、捉え方が出来る、または時間の経過とともに胸の中のトゲトゲが風化して、結局正面から対決することが起こらない。
でもこれは言いにくくても言わねば、理解を得られるかは別として共有せねば、ということを試みた経験はもちろんあるけど、口火を切ったときのしんどさ、話しにくさを思い返すと、なんでもかんでも明らかにし合うのが健全というわけでもないんだろうと思う。
なんとなく気が向いて言う気になったタイミングがあれば、言えば良いのではと。

昔、友達が、お付き合いしている人とは、一緒にいる時はつねに何かを喋っているので、飲食店などで、互いに黙っているカップルを見かけると、不思議な感じがすると言っていた。
そういう二人なら、また違うんだろうな。会話の始めやすさなんかが。

 

もっと描きたいなぁ。

 

 

 

LINEスタンプ『自然な気持ち』販売中ʕ·ᴥ·ʔ

https://line.me/S/sticker/10142048