きのうの夕飯のメインに、レタスと鶏肉を使った。
鶏肉には片栗粉を多めにまぶして、片面が焼けたら、ひっくり返して上に大量のレタスを乗せて蓋をする。で、しゅんとなったら、混ぜておいた鶏がらスープの素とごま油メインのソースを絡める。
ソースを絡める際に、茹でたブロッコリーも放り込んだ。案の定、あんなに嵩(かさ)高かったレタスがどこいった?と思うくらいしゅんとしたので、ブロッコリーのボリュームが丁度よかったし、何より花蕾に味の絡んだブロッコリーがめちゃくちゃおいしかった。
これまたやろう。
また緊急事態宣言が出てしまって、近所の図書館や児童館が閉鎖された。同じような月齢の子供を連れたお母さんと自然に話ができる場がなくなってしまって、ちょっと困っている。
公園で話しかける、とかいうのは私にはとても難しい。
行きたいところへは一人でも行ける人間でありたいとか、群れるのはちょっと、と思って生きてきた。(女友達も少ない。)でもここにきて、子どもが毎日ただ私や夫とべったりなのが良くないと感じ、自然な形で誰かと関わりを持ちたいと思った時に、自分の社交性の無さが身に染みてきた。
本当に自分というものを持っていれば、どこでも、自分から話しかけることが出来る気がする。結局ただ引っ込み思案なだけなんだな。
生きていると、自分の性質とはしばしばモロに向き合わざるを得なくて、それがしんどいけど、同時に、回り道をしないで歩いている感じがするのは、良い。
(この間マンションのエレベーターで赤ちゃん連れのお母さんと一緒になったけど、すぐ上の階で降りて行かれたので、話しかけそびれた。エレベーターの中で初対面の人に簡潔に世間話をするのはめっちゃ難しい。)
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