暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

お産の話

書きたいと思い続けて全然書けていなかった、出産のこと。

なんだかどんどん遠ざかって忘れかけているけど、今書けることを書いておく。

 

お産は、もっと手こずると思っていた。私は昔からなにをするにも人より時間がかかるので、出産も初産の平均以上の時間をかけて、もしかしたら一日がかりで産むのじゃないか、と思ったりしていた。

結果は10時間を切る安産で、そりゃそれなりに騒ぎながら産んだけど、あれ、思ったより…という印象だった。

ここが人生の大一番、という実感は終始無くて、分娩室に移動してきて、さあいよいよです、というときも、その部屋にしつらえられたさまざまな機械や道具、スタンバイしている助産師さんや先生を前に、いまこの部屋の主役は自分であるという事実に少し戸惑いというか、恥ずかしさを覚える、変な余裕まであった。

陣痛中、初めの内診で子宮口の開き5,6センチ、というのを聞いて、「もう40%くらいは来たかな」と、パソコンで何かをインストールしている作業進捗のバーを思い浮かべていた。

f:id:shouwano:20210407113347j:plain

全体で何時間かかるかは終わってみないとわからないけど、時間が経つにつれ終わりに近づいていくのは確かで、それが気持ちの拠り所だった。

 

お産はほんとに人それぞれだけど、私が感じたのは、例えるなら長距離走を走っていて、とてもしんどいのに立ち止まることを許されない、そういう大変さだった。

誰しも、ひとたび始まれば自分で迎え撃つしかないので当たり前なんだけど、古今東西、女の人はすごいなぁと思った。

ちなみに、不安や恐怖はなかった。それはたぶん心のどこかでお産の進捗が順調であると分かっていたのと、何より助産師さんたちのおかげだった。

 

 

あれこれ書いたけど、一番印象に残ったことは、産前・出産・産後はすべて地続きだということ。「ついに、この日が、この時がやってきた…!」というドラマチックな気持ちには一度もならなかった。

さわやかな秋晴れの朝、破水して産院へ向かっているとき、車から眺めた山々の紅葉がきれいだった。

病院で出てきたお昼ご飯が豪華で美味しくて、感激した。陣痛が始まると食事どころじゃないと聞いていたので、晩ご飯も楽しみだけど、そのころには陣痛が始まっているかな…と心配した。

無事に晩ご飯を完食してから、緩やかに陣痛が始まった。痛みと痛みの間の時間に、リラックスしようと思って小声で歌を歌っていたら(個室だったので)、体力勝負だから寝れる時に寝てくださいねと様子を見にきた助産師さんに言われた。

間隔が狭まり、痛みが強くなってきて、たまらず声を上げてしまうことが増えたとき、これ、側で見てたら、めちゃくちゃ取り乱してるように見えるのかなぁ…と考えた。自分としては、たしかに今いっぱいいっぱいの状態だけど、そんなに我を失っているわけではないな、と思ったりした。

分娩室で台に上がって正面の壁にかかっている時計が、東京の自宅のリビングにかかっているものとよく似てて、あ、うちのに似てる、同じメーカーかなと思った。(目を凝らして確かめる余裕はなかった)

産まれてあれこれ処置を終えて部屋に戻るとき、看護師さんが「いいお天気ですよ」と教えてくれた。一日前と全く同じような気持ちのいい朝の光が、廊下に明るく差し込んでいた。

無事に産まれたことも、今日がいい天気であることも、どちらも嬉しかった。

 

全然順序よく書けなかったけど、私の出産はこんな感じでした。

この段落で締めようと思って書き出したところからまた芋づる式に書きたいことが出てきて、長くなってしまった。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。

 

 

 

 

LINEスタンプ『自然な気持ち』販売中ʕ·ᴥ·ʔ

https://line.me/S/sticker/10142048