暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

もどかしい思い


長くて、個人的な(大抵そうだけど)話です。


妊婦という立場から、コロナ対策は徹底してきた。神経質過ぎるかもしれないけど、何年も後になってあれは大袈裟だったね、と笑うことになったらそれはそれでいいし、と。

マンションのエレベーターは長らく使っていない(部屋のある階数がまぁギリギリ階段でいける)、飲食店にもコンビニにもスーパーにも、4月以降行っていない。(これはもちろん一緒に住む家族のサポートがあってのこと)

毎日○○人と報告される感染者数には、うかつに街へ繰り出して遊んでしまった人、大人数でワイワイ飲み食いしてしまった人、不特定多数のお客さんと相対する接客業の人が多いのかもしれないけど、そうじゃなくて、やむを得ない短時間の外出で運悪く拾ってきて発症してしまった人もいるんじゃないかと思う。

自分がいつその立場に置かれるかわからない、という気でいるのが肝心、という心持ちでいた。


里帰り出産にあたり、実家の両親にも、同じ姿勢を期待していた。だけど、どうもそれは難しいらしい。

東京と他県では温度差があるのは当然かもしれないけど、自分の親ということになると、その絶望感は堪えるものがある。

田舎の町だけど、これまでにわずかながら感染者が出ている。それを言っても、「よっぽどの行動をした人がかかるんでしょう」という返事。かかる人と自分たちは行動が大きく違う、という考えだ。

親のスタンスはこうです。

リスクを0にはできないんだから、気をつけながらほどほどにふつうの生活をする。近所のスーパーはもちろん、贈答品など必要な買い物があれば電車に乗ってデパートにも出かける。

外出時はマスクをして、顔には触らないようにして、帰ったら手洗いうがい。

ただ私から見たら、「その外出必要かい?」「もっと家に篭れるでしょ?」と言いたくなることが多い。リスクを0にできないと開き直るんではなくて、限りなく0に近づける努力をしてくれないかな、という気持ち。

なんか、ちょっとヒステリーを起こしてるのかもしれない。(コロナにかかったら…一応高齢者だし…と親を心配する気持ちよりは、これからそちらに行く自分とお腹の子のために用心してほしいというエゴが強い。)

ただ親子なだけで、他者同士。意識の違いは当たり前と思った方がいいのかな。それでまずは、裏切られたような気持ち、自分の体の一部が思うように動かないような苛立ちは無くしていくべきなんだろうな。

傷つくのも苛立つのも、「自分の気持ちを汲んで動いてくれるべき存在」という思い込みから来ている。

「そうじゃなくてこういう考えを持ってよ」と電話口で強く言うのも、困らせ傷つけたかと、あとから苛まれるのもまた辛い部分で、なんだかもう、いっときはとてもしんどかった。


こんな個人的な小さなウニャウニャは、別にニュースにもならないだろうけど、コロナはこういう問題も連れてくるんだな。

(問題の質的に、いつかこの先の人生でぶつかったことであろうから、これをもって「コロナのやつめ…!」とは思わないけど、妊娠中は心穏やかに過ごしたかったなぁ。)

自分が妊娠していなければ、今頃はふつうに通勤していたはずだし、たぶんもう少し余暇も楽しんでいたと思う。人出を伺いながらも買い物に行ったり、家の近所でなら旦那さんと外食もしたと思う。

少なくとも今はコロナとうまく付き合っていくしかないので、(うちの両親のように)できる限りの対策はしつつも、過剰反応することなく、なるべくストレスフリーに普段の生活をするのが良いんだろうな。

(かつて緊急事態宣言下で巣ごもり生活がたけなわの頃、一般市民大勢が徐々にストレスを募らせているらしいことは、なんだか別の悪いことが起きそうで不安だった。)

ただ、今この身体は私一人のものではないということ。専門家にもわからないことがまだ多いようだから、漠然とした不安が拭えない。

コロナを念頭に置いての生活には慣れたつもりでいたけど、こうして考えてみると、改めて、厄介なことだなぁ。

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(最近おやつにバームクーヘンを食べた。温かい紅茶も淹れたけど、一口もすすらずバームクーヘンを平らげてしまった。甘いものはゆっくり食べられない。)




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