暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまにスケッチを描いています。

餃子と炊事の話


今夜のご飯に餃子を作った。たくさん作って冷凍しておくと平日の晩に何度かラクができる。
常温に戻した冷凍エビを刻んで、キャベツと長ネギも刻んで、豚のひき肉と、あとは調味料・片栗粉と合わせて混ぜ混ぜする。
調味料は醤油とおろし生姜だった。ニラやニンニクを使ってないと、翌日の息は気にしなくていいのかしら。またお弁当にも入れられるのかしら?

豚ひき肉は300g、エビは200gを使った。
参考にしたレシピは餃子12個分とあった。私は餃子の皮は50枚のを買ったので、各材料はレシピの約4倍にした。

お店で食べる餃子の美味しさにはならないけど、まあ美味しかったし、なによりは作り溜めできた安心感である。

餡を中に入れて餃子の皮を包むとき、実家では水溶き片栗粉を小皿に拵え、それをフチの半円に糊づけのようにし、閉じ合わせていた。
何年か前に漫画『きのう何食べた?』を読んで、同じシーンにただ水を使っていたのに衝撃を受けた。
そういえば餃子の皮のほうに粉がはたいてあるので、それもあってか、充分くっついてくれるのであった。

私はこういう、実は省ける手間を、何の疑問もなく盲信的に踏襲していることが多い。
疑問がないのでストレスもないけど、立ち止まってラクな手順を選べ直せる人に比べたら、ちょっとずつ時間を食われているのだろうと思う。

私も絵を描いたり本を読んだりする時間をより多く取りたいとの気持ちはあるけど、同時に、料理にかける手間の一つや二つ、歌でも歌いながら快く受け入れるゆとりがあっても良い(なぜそこに無駄を見出そうとしないといけないのか)と思うし、側から見れば複雑で面倒な手順を長年の慣れによって鮮やかな手捌きで短時間でこなせるようになることにも憧れる。

しかしまあ、のんびりやっていたら、いつまで経っても手早くはならないのかもしれない。
炊事が職人技のようになるのには、やはりいっときは時間に追われていたという背景が必要なのかもしれない。

台所仕事は、一手に引き受けると年中休みなく続き、だから上達という変化は必ず味わえる。