暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

インド象

 

いつもだいたいそうですが、なかでも群を抜いて
それがどうしたの?という感じの話なので
暇なときに読んでください。

 

 

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同じ行を何回も読んじゃう。
読みたいのにすごく眠くて。

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諦めました。

 

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印と象の漢字の意味を考えてたら
えっ、インド象

と行きついて。

「印」は本来の意味「しるし」のイメージがあって
それは「印象」の意味と一致するのでいいんですが、
(インドゾウ?!の「インド」はゾウに合うように半ば強引に引っ張ってきてしまった)

「象」のほうは、もう動物のゾウのイメージが強くて。

「印象」は、もしかして
インド象にまつわる故事がもとになってる言葉なのか?!と思って
(塞翁が馬、みたいな)
一瞬非常にワクワクしてしまいました。

よく考えたら、すでに知ってる言葉で
象形文字」の象の意味はそっちだ。
「ものの形、目に見える姿」などの意味。
(いまさら辞書をひきました)
漢字って意味がたくさんあるね、と再確認。

 

 

 


*冒頭のイラスト、乗客3人が何か相談してるみたいに
 頭を寄せ合ってしまった。
 あと、本しか入らなそうな主人公のカバン…。

イメージは自由に

 

事務職のイメージとは。

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ほかの職種に比べたら、
静か~で地味で
単調で
誰がやっても同じ。

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でも、実際やっていると
違った印象も生まれます。

朝9時に席に着いたら、それはもうコートのなか。

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来た仕事を次々打ち返しているんです。
打ち損なったり
フチに当たって変なとこへ飛んだら
相手の手を煩わせてしまう。
鋭く打ち返したら「ナイス!」と瞬発力を褒められる。

ただ返したら100点、という訳ではない。
多くの人が、打つ時の雰囲気にも気を配っている。

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当てるのがやっとな時期もある。これが今現在。

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夢の11月

 

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テーブルの上の絵、左半分です。
2か月にいっぺんくらいペン立てを倒す。




仕事が忙しくなってきた。

毎年、この時期になると
目の前に迫る12月の存在感が大きくて
自分が立っているはずの11月の影が薄い。

いま現在のカレンダーに足がついていない、
何層か下にある感じがする。


実際に仕事をしていても、どこか浮ついている。
平常時よりもずっとたくさんの仕事を抱えて、
たえず手を口を動かしているけど、
なんだかシャンとしない。

前後左右、大小の仕事に埋もれている。
それを日々かき分けかき分け、
前進しようとするも、思うように進まない。

そのもどかしい、
腕を振り回して少し前に進み、
でも反動で下がらされて、
ずっと同じところで動き続けている感じが、
「あ、夢の中に似てる」
と思った。

空を飛べる夢、
でも全然思うようなスピードで思った方向へは進めない。
あの、目の中に浮遊している糸くずみたいに進む。
自分の動きと意志が、少しでも作用しているんだかわからない。
ゆっくり不規則に、滑るように動く。





仕事のこの感覚は、
仕事をおおかた一掃しない限り続くだろうと思う。
いくら小さなのをさばいても、
視界は変わらないので
進んだ、消化できた、
そういう手ごたえがしばらくない。

そこの電信柱まで
ちょっと走って、一息ついて
またちょっと走って、一息ついて
平常時がそんな感じだとすると
暮れの繁忙期は長距離走です。

腕をかき回して進めないなら、
ジャンプしてふわっと飛び越えたいけど、
それだと全然違う話になってしまう。

血液型

 

血液型と性格は関連性があるといわれていますが、
私もそう感じている一人です。

毎日一緒に仕事をしている会社の同僚なら、
A,B,O,ABのうちの2つにまで絞れる自信があります。
(少なくとも、「これだけは違う」と1つは候補から外せる)

ただ、客観的に
「A型はこうだ」「B型はこうだ」と定義できるのかというと
それはちょっとできないなぁと思います。

それは、その人についての「なんとなーくこんな…」という印象を頼りに判断しているから。

話し方、メールの書き方、
何か人にしてもらって感謝の意を表すときの態度、
打ち解けて話せる相手の多さなど、
毎日顔を合わせていて自然とわかることがあります。
その要素のひとつひとつが、
私自身とどれだけ近いか、または遠いか。

律義さ、内弁慶さ、真面目さ(適当さ) などの度合い。

度合と言っても、判断する人間(私)基準です。自分とのズレ。
汎用性はありません。
ただ私が一人で興味深がっているだけ。


気が合う、合わないは、
血液型とはまた別だとも思います。
会社は、なんというか、
みんなでワイワイやるための場所とはまた違うので、
そこまで突き詰めて考えたことはないですが。

(仲が良い人が多いほど、
 実りある時間になるとは思っているのですが)

 

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部屋のテーブルの上の光景を描きました。
これは視界の右半分。
絵を描くときも、ごはんを食べるときも、
こんなふうに積みあがっている。

休みの日によく、
こういう100円前後で、ストロー刺して飲む甘い飲み物を買います。
それだけだと口の中がムヤムヤするので
ふつうのお茶もマグに入れて置いています。

話題

 

会社の中での世間話についてです。

お天気の話は一番しやすい。

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自分の近況も自然な話題。

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このあいだ、手に絆創膏を貼っていたら
「どうしたの?」と聞かれたので
台所でケガしたときの話をしました。

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「料理した後に包丁を洗ってまして」

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「アワアワにしたスポンジで刃の部分をはさんで、
 スライドさせようとしたんです」

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「そしたら」

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穏やか~にニコニコしながら話すのもいいんですが、
このときは
とても自然な共感のリアクションが返ってきて
妙な達成感がありました。

世間話って、話題はなんでもよくて、
お互いに笑顔で相槌を打つことで
一緒にいやすくなったりリラックスできたりします。
私も好きです。

ただ、共感や肯定を返すつもりで
こちらの話を笑顔で聞いてくれている相手を見ていて、
申し訳ない気持ちになるときがあります。

(上手に話せてないなーと焦るときや、
 なんでこの話題を選んでしまったぁー!
 と内心思いながら今更戻れずに話しているとき)

だからこういう、取り繕っていない、
素直なリアクションが嬉しかったです。







指先のケガは痛いですね。
紙の端で切っただけでも「ヒッ」ってなる。
包丁はほんとに気を付けてください。

納豆

 

きょうはハロウィンです。

仮装などはしたことがないし、
今後もする予定はないですが、
イベントとしてはちょっと好きです。

コンビニやスーパーに並ぶ食品・お菓子のなかで
中身が変わらないのに、
包装やシールなどで装いだけハロウィン仕様にしてある商品があります。
これを見つけるのが楽しい。

もちろん、
パンプキン味などの期間限定商品も見かけますが
そこまでやるほど気はない、
もしくはやりようがない商品までもが
ハロウィンに乗っかっている。
それを見つけたときに
ちょっと気持ちが明るくなります。

商品として意味のない投資はやらないはずで
時流への敏感さ、フットワークの軽さのアピールだったり
私のように「おっ」と目をとめて
商品に手を伸ばさせるのが目的だと思いますが
うん。べつにそれでもいいよ。と思ってしまいます。

きのうは、ハロウィン仕様になっている納豆を見つけて、
「なんじゃこりゃ~」と思いながら手に取り
迷わず買い物かごに放り込みました。
(味はべつにいつもの納豆でした)

 

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トーク

 

学生の時の話です。

同じ学部の友達の部屋で相談ごと。
「あのさぁ。サークルの同期の子たちのことなんだけど」

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「みんないい子だし楽しいんだけどさ
 なんか・・・気後れ?しちゃうんだよ」

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「みんな、なんていうかトークがあか抜けてるっていうかおしゃれっていうか・・・
 私はなんだかいまいちなことしか言えないというか
 ふってもらわないと入りづらいときもあったりして」

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「あ、つまらない発言しちゃったって後悔したり
 上手に話せなくて悩んだり
 こういうところが時々本当いやになる。
 テレビで司会やったり面白いこと言ったりしてる人、
 ほんとすごいと思う」

そんなふうなことを話しました。
ちなみに、話を聞いてるこの友達はサークルとは無関係で、
大学一年の春に会ってからすぐに仲良くなった、
互いに気の置けない間柄です。

私の話を聞いた後に、その友達が言いました。

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「みんなそうでしょ?」

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私「え?」
友「芸能人も悩んだりするのはそういうところでしょ?
  発言の回数とか言いすぎたとか思った風に話せなかったとか」
私「そっか…言われてたみたら…。私は私だけだと思ってた」
友「違うって(笑)」


このとき、目からうろこでした。
こんなことで悩んでるのは自分だけだという気がしていたのです。

もちろん性格も能力も個人差があります。
テレビに出ている人は、もともと人より得意な分野を自ら選んでいるんだということも思います。
でも、何もかも思い通りに、いつも自信にあふれてカメラの前に立っているわけがない
そういうことに、初めて目が向きました。

自分には自分の内面しか見えない。
思い通りにならない何かと格闘したことのない人なんかいないだろう
ということが直観でわかりました。

またそれと時を同じくして、
好きな歌手がラジオの番組で
生放送に出た日の帰り道はたいてい撃沈している
という話をしていました。

大学に入って間もなく。
こういったことに気が付いた時期でした。





*学生時代は楽しかったけど、
 自分のことをよく知らないゆえに悩む時期だった。
 いまは何かぶつかることがあっても
 その、ぶつかったときに自分の輪郭を感じる。
 それがあまり嫌ではなくて、
 実際に問題の解決や収拾にあたるときの慰めになります。