二人暮らし*会社のこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや動物のスケッチを描いています。

読書・パソコン購入のこと


久しぶりにKindleで小説を買った。同じ小説家のホラー小説を二冊。きのうの日曜日にどちらも読んでしまった。

家に一人だったので、ホラーなんか読んだらダメだと思ったけど、読み始めたら止まらなくなって、サンプルを読み終わったあと迷わず購入。

夢中で読んでいたら、床がピシッと軋んでビクッとした。おおお…。よくあることだけど、よりによって、いま。また、途中でトイレに行ったら、扉を閉めるのをためらった。ちょうどトイレで忌まわしきものに襲われるシーンを読んでるところだったから。でも扉を開けたまま用をたすのは習慣上抵抗があるし、半開きのドアを見ながらというのも何か別の怖さを感じ、閉めた。(鍵もちゃんとかけた)

読書が好きと言いながら、普段常に新しいものを読んでるわけではないけど、たまにこうして時間が取れた日はタガが外れて、ばばばっと買ってしまう。時間があって読みたいと思っている限り、続けて。Kindleはワンタッチで買えて、実際の本と違って場所をとらないからついついハードルが低くなる。

特に漫画だと一冊読むのに20分もかからないから、複数巻出てる続き物とかだと、あぁ続きが気になる、次、はい次、と一日で何冊も買ってしまうということが起こる。(だいたい三冊くらいで我に返るけど)

でもたまにだし、楽しいのでよしとする。

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近々、パソコンを買い換える予定だ。パソコンは、なかなか気軽にヒョイッと買えなくて、のびのびになってしまっていた。もう一年以上前から買う買う言っている気がする。

まずパソコンをどんなことで使うのか確認し、メモリだのなんだのと、それに必要なスペックを知る。また、ネットに溢れるレビューやブログ読んでなんとなくイメージを持ったり、サイズ感を確かめる。

で、ヨシ、決めた。次出かけたら買う。と決意したところで、あいにく予定が詰まってて少し間が空いたりするすると、「ええと、なんだっけ」と初めからやり直しになる。スペックとかはメモっておけばいいんだけど、私の場合、この過程を通して「ヨシ、買う!」という清々しい気持ち、ワクワク感を醸成するのが大事な気がする。

金額が大きいということと、買ったら買ったで初期設定のような、複雑そうなことが待ち受けているイメージが大きい。だから、気持ちを盛り上げて、購入からスムーズに使えるようにするところまで、一気にいってしまいたいのである。

楽しみではあるんだけどな。いかんせん腰が重い。こんなに時間をかけて買うパソコン、もう、うんと高くてもいいから壊れなきゃいいのに、と思う。耐用年数なんてなきゃいいのになぁ。

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電気屋さんでもらってきたパンフレットたち)


寒さが恋しい


12月にしては暖かい日が続いている。お菓子屋さんの店頭や近所の家々の庭先を飾るイルミネーションが季節外れに感じるほど。(なんだなんだ、もうクリスマスのイルミネーションやってるのか。気が早いなぁ。…あっ、べつに早くないのか。もう12月か。)

上着は冬寄りの厚手のものを着て出かける。でもまだ両手をポッケに入れて歩かない。一度入れてみたけど、むしろ少し暑いくらいで、まだそこまで寒くないんだな、と気づいた。12月らしからぬ気温がなんか物足りない。(朝起き出しやすいのは助かっているけど)


前回書いた、料理に関する悩みの解決策として、取り急ぎ

○作っても2品(一汁三菜にこだわらない)

○主菜をこれまでより多くこしらえお弁当にまわす(お弁当用のおかずを別途作らない)

○ちゃっちゃと作る(歌ったり、昼間あったことを振り返ってボーッとしたり、リラックスしながらやらない)

○副菜はできるだけほかの品と同じお皿に盛る(洗い物を減らす)

の四本立てでやっていくことにした。

完全無欠な対策を練っているといつまでも動けそうにないので、思いついたことから、できそうなことから。手際よくやることが料理の楽しみ、張り合いの一つになればいいな。

そもそも作らないとか、人を使う(旦那さんに頼む)とか、もっと根本的な考え方の転換が必要かもしれないけど、いまは、どうにもハードルが高い。

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(掛け布団を2枚重ねて、冬本番向けの完全体にする必要もまだない)


ちょっと止まって考えな

毎日料理でくたびれている。作り続けていたら手早くなって楽になるかと思っていたけど、ちょっと厳しいなと感じ始めた。

キャベツは手でちぎる、豚こま切れ肉は切らずにそのまま焼いちゃう、などの小手先の手抜きをやってるだけではダメみたいだ。

健康的なご飯を食べたい。食費を低く抑えたい。これを両方叶えるのは毎日台所に立つこと。

でも、これは重労働だ。毎日会社から帰ってから1〜3品作って、冷蔵庫に作り置いてあるおかずと合わせてご飯にする。彩りの良い食事を食卓に並べること、たくさんのおかずをお弁当にもりもり詰めるのが何より喜びで、気持ちの上で苦はなく続けてこられた。

この、気持ち的には無理がない、自分の満足と直結しているのが厄介で、手の抜き方が分からない。

旦那さんが日々の食事に高いレベルを求めてくるわけではない。継続して同じおかずが出てきても良いよと言ってくれる。工夫のしようはあるはずなのに、他ならぬ自分のこだわりが強すぎて、どこからメスを入れていったらいいかわからない。

仕事で疲れた、もうクッタクタ、というときほど、自分の料理が食べたいのである。「あー、誰か私の代わりに料理してくれないかな」と思う。(めっちゃ忙しいときに「誰か代わりにトイレ行ってくれないかな」と思う感覚で)

食に対するこだわりに加えて、自分を頑固にしているもう一つの要因がある。

それは「自分が料理を担っている」という思い込み。もし旦那さんが週に一度でも料理をしてくれたら助かるんだろうけど、私は「え、では私は何をいたしましょう」という気持ちになる気がする。

構え方がずれているか、少々行きすぎている。修正すべきなのになかなか腰が重い。

たとえひどく疲れをもたらす習慣でも、慣れた道を行き来するほうが、立ち止まるよりも楽なようだ。

側から見たらバカというか、盲目だよなぁと思う。

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一ヶ月前くらいに描いた、紅玉。


コタツの話など


今年の夏に越してきた新居は、賃貸だけど床暖房がついている。これがとても快適だ。

一人暮らしをしていたとき、冬はコタツが必需品だった。コタツでご飯を食べ、本を読み、ブログも書いた。スケッチもしたし、描いたものをスキャンしたり、パソコン作業もやった。(真冬はコタツがないと始まらなかった。エアコンの暖房の熱気は床まで行き渡らず、寒くて何もする気にならなかった)

ただコタツは入ったが最後出られなくなるという難点があり、寝支度が遅くなったり、そのまま寝こけたりした。

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一方、床暖房は足元から温めてくれて、かつ人間をその場に束縛しない。ぽかぽかのまま、いろんなことがこなせるのが素晴らしいと思った。

新しい設備には「こんなの要らないや」というのも多いけど、床暖房については、ようこそ!よく来てくれました!と拍手でお迎えしたい。

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とは言っても「コタツより床暖房が気に入った」というのではなくて、コタツはコタツで恋しい。またいつか、コタツの上に飲みかけのマグカップ、らくがき帳などを好きに散らかして、ダラダラしたい。今なら家族がいるから、そこまで自堕落なことにはならないだろうし。

昨日の晩は牛丼を作った。玉ねぎをまるまる一個使って、薄切りにして、煮汁とクツクツ煮込んだ。それから牛肉200gを入れて、ほぐしながら火を通した。滅多に外で牛丼を食べないので正解がわからないけど、美味しかった。

そして今朝、起きてみるとお腹がおかしかった。痛いとか胸焼けがするとか、明らかなことじゃないんだけど、消化しきれていない感があった。小人くらいの何かがお腹の中にいる感じ。

私のお腹は牛肉と相性が悪いようだ。その時々によるけど、翌日は一日中お腹がゴロゴロ言ってたりする。お野菜と炒めたりした時は平気なので、量の問題なのかな。

そういえばたまに焼肉などに行き牛肉を食べて不調をきたしたことはない。鮮度とか、どこ産とか、そういうことも関係あるのかもしれない。あとは自分のコンディションと。

そういう、原因が突き止められないことって時々ある。警戒しつつもほどほどに付き合っていく。(牛丼はときどきは食べたい)


11月のあれこれ


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年末の足音が聞こえ始めるこの頃、頭に浮かぶこと。


○クリスマスケーキの予約しなきゃな。

あてにしている洋菓子屋さんが2つある。クリスマス前から連休ということもあるし、あわよくば日を分けてどちらのお店のケーキも楽しみたいなぁと思っている。

甘いもの、近ごろは量を気にして食べるようになった。お肌やお腹の消化能力が繊細に反応するようになったからだ。

いっときに比べたら甘味を欲する気持ち自体が穏やかになって、何も歯を食いしばって我慢しているわけではない。しかし、クリスマスケーキを複数用意しようと目論むあたり、やっぱり甘党なんだなぁと思う。


○年賀状のこと。

喪中になるので基本出さないのだけど、それについて少し、実家の両親と相談をすることがある。

一緒に暮らしていればいつでも思い出した時に話ができるのに、離れて暮らしていると些細なことを確認するにも、「メールを打つ」「電話をする」というタスクの一つになってしまう。まず、そのための時間を確保するところから始めないといけない。

そうした「用事」は、片付けるまで頭の片隅にぶら下がっている。目に入るたびに、軽いプレッシャーを感じ、あぁ、やんなきゃなぁ、と思う。そういうものの中に親の顔が見え隠れするというのは、なんだか寂しく、自分が薄情に思える。

自分の仕事や生活でいっぱいいっぱい、仕方ないのだけど、忙しいと無意識の優先順位が浮き彫りにされる。それを自覚するたびに落ち着かない気持ちになる。


○仕事は繁忙期。

今年は不況なのか、現時点では例年に比べてまだ余裕がある。それでも問い合わせや依頼の内容が切羽詰まったものが多く、この季節らしさを感じる。

この時期は、忙しいことに加えて、健康維持にも気を割かないといけない。風邪をひくと色々と大変だ。風邪をひかないでいる人を、世間はもっと褒めるべきだと思う。

風邪をひかなかったらお給料に反映させてほしい。月500円とかどうでしょう。同じように、風邪をひいた人で、無理をして出勤せずに素直に休んだ人も同様に評価してほしい。頑張って出てくるのが偉いというムードをものともせずに休んだ人を。同じく500円でよい。(どっちも正確に判断するのが難しいけど)

この頃はコートを着て出勤しているけど、冷え込みはそこまで厳しくない。毎年ガッと気温が下がる日がある気がするんだけど、今年はそれがまだ。


やっとこさ悟る


こないだ帰りの電車の中で、若い男の人たちが自分の子供の話をしていた。

乳児のいるらしい一人が、いま夜泣きで大変なんだという話をすると、もう少し上の年齢の子のいるらしい別の人は「夜泣きか、懐かしいな」と言い、あっという間だ、というようなことを言った。

その後もぼつぼつ会話は続けられたけど、終始愚痴めいた言葉は発されなかった。誰か一人がずっと喋っている、ということもなかった。聞いていて、心地よかった。

その人たちの関係はたぶん会社の同僚か何か、年齢は近そうであったけど二つ三つの年齢差、上下関係がうかがえた。気の置けない相手にするような話し方は皆控えていたんだろう。

そんな風に、仕事の延長のような緊張感があってのことにせよ、普段から仲が良いのだなということは伝わってきた。(そういうのは他人にもわかる)

電車で見かけたその会話に、癒しと元気をもらった。和というのはこうやって保たれていくんだな、と思った。人がそれに費やすエネルギー、気遣いは尊いと素直に思った。


自分はといえば、あまり社交的な方ではなく(一対一なら大丈夫だけど大人数でワイワイやるのを難しく感じる)、また「なんで皆そんな無理してつるむんだろう、気が合う人同士ばかりでもあるまいし」とまで、少し前までは反発していたし、今でも油断するとそういう気持ちを抱くことがある。

でもなんだろう、いつのまにか。その価値が、必要性がわかるようになってきたような。

「和」、ひいては平和というのは、人が意識的に作っていくもの、また、絶え間なく紡がれながら保たれていくものだと、やっと理解できた。(この歳になって…遅すぎる…でも分かってよかった)

誰かと偶然どこかで一緒になり内心ワタワタ話題を探すのも、ちょっとは楽しんでできるようになるかな。(たいてい相手に先を越されてしまうけど)

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イライラに向き合う


定期的にイライラしやすい日がやってくる。そんな日に、「イライラしました」という内容のブログを書いたことが何度かある。

今日も、そんな日にとくにある他人の言動に触れて気持ちが乱れた、そのことを書こうと思う。

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そんなの書いてどうするの、という感じかもしれないけど、自分でもひくくらい攻撃的な気持ちになるのを、分析して理解してみたいのである。

(自分でよくわかってコントロールしないと、家族など周りの人にやつあたりしてしまうし)

その日は人の話し声、後ろを行き来する人の気配など、いろんなものが総出で神経を刺激してきた。それを隠してないといけない、と思うこともまた自分を疲れさせた。

くたくたになったので、晩御飯は手抜きをさせてもらった。

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(ほんとはハンバーグが食べたいけど…今日はとても無理だ…納豆とご飯にしよう…)

*****

苦手なことを人にやってもらうのが得意な人がいる。きっぱりと正面から頼むのではなくて、話をしながら、自身は決定打を打たず、相手が助け船を出すのを待っている。見過ごせないのは、その人が、目上のその相手が自分のこねる駄々を必ずや許容してくれると確信していることである。で、後輩から頼られた相手のほうもまんざらでもないので、結局なにも問題はないのである。

正当な怒りの根拠が見当たらないことにまた、もやもや。

不思議なのは、

・私自身が彼らから何か直接の被害を受けるわけじゃないのに、ということ

・日頃は大して気にならないのに、そのやりとりがたまにものすごく気に触る    ということ

単純に言うと、月のものの関係でイライラしやすい時にサンドバッグ的に取り上げているだけなんだろうなぁと思う。

ただ、サンドバッグとして選ばれるのには、やっぱり自分の許せない、見過ごせない何かがそこにあるから。

はっきり言ってしまうと、私がしている苦労をその人がためらいもなくかわしているように見えて、自分がバカみたいに見えて、やりきれないのである。

嫌なことも仕事のうちだと思ってたのは、それを飲むことにも価値があると思ってたのは、恥をかくのも皆通る道だと思ってたのは、間違いだったのかな、と。


自分の問答にまじめに返すとしたら、進んで苦手に向かうことにもちろん意味はあるけれど、そこで他人を使うこともまた一つの方法なんだと思う。そのためのスキルだって簡単には手に入らないし、天性の愛嬌でこなせるならそれは才能と言っていい。

仕事をする中でみんなそれぞれ方針があって、誰かとの違いがまざまざと見えたときに、つい感情が動いてしまう。これは自然なことなのかもしれない。

自分の中に、自分の方針が根を張っている証拠と言えるのかもしれない。

悪口を言いたいわけではなかった。(毒のある内容になってしまったけど)どうしても気持ちが乱されるその理由を自分でわかっておきたかった。

こういう気持ちの揺れは、歳を経れば少なくなるものかな。あとから振り返ればいまの私の年齢はまだまだ若いのだろうけど。いい歳をして幼い拙い感情を抱くのだな、という少し情けない気持ちが今の実感である。