暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

ある一日と読書


会社ではとても眠かった。


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こういう日が多いけど、このままでいいとは思っていない。

1時間早く寝ると全然違う。早めに寝ることを習慣にしたい。


朝のニュースでは、きょうは午後から雨が降るかもしれない、という予報だった。

ところによっては強く打ちつけるような雨、と気象予報士の人が言っていたので、折りたたみではなく普通の雨傘を持ち、レインブーツを履いて出勤した。


仕事を終えて夕方、さぁどうかな、と外に出てみたら、降っていない。

水溜りができていたから、一度降ったのだろうけど今は止んでいる。

駅まで歩いたけど、降らない。

降らないのかと思いながら電車に乗る。

最寄り駅に着き、家まで歩く。

途中パラパラっと降られるも、傘をさすには至らなかった。

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せっかくばっちりな格好で出てきたから、雨が降らないことが残念だった。

私は雨がそんなに嫌じゃない。

荷物が多くなければ。またレインブーツを履いていれば。あと寒くなければ。(条件多い)



家に帰る。

この日は旦那さんが仕事で帰らないので、ご飯は適当にする。

料理は好きで、向いている方だと思う。

だけど、毎日バリバリやると疲れる。

料理自体にストレスはないけど、やっぱり疲れる。

それを学んだので、意識的にやらない日を作ることにしている。


買ったばかりのKindleで、初めて本を買ってみた。

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電子書籍は、抵抗がないわけではないけど、前よりも慣れた。

場所を取るから…と買い渋るくらいなら、電子書籍で買えばいいと思うようになった。

(ときどきは本屋で本を買いたいと思っている。紙の本が良い、ことに加えて本屋がなくなったら嫌だから)


Kindleで買った小説は一気読みした。

あぁこのままじゃ遅くなる、と焦りを覚えながらも、読み終えるまで時計を見る気も起きないくらい、続きが気になって気になって、どんどん平らげるように読んでしまった。

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(イメージです。実際読んでたのは紙の本じゃなくKindleです。ややこしい絵を描いてしまった)


読み終わっておそるおそる時計を見たら、もう日付が変わる頃だった。

また寝るのが遅くなってしまった。




(ここからは本の感想)

少し前から同じ人の書いたミステリーを読んでるけど、面白くて引き込まれるのはもちろん、読み終わって、あぁ好きだなぁと思う小説が多い。

一つにはキャラクターが魅力的であること。

また、ほどよくコミカルであること。

そして話全体に熱と勢いがあり、作者が小説を推敲している図が思い浮かんでこないこと。

(伏線が多く、時系列が前後するミステリー、サスペンスは、話全体が精巧にできている印象を受けることがあり、それが作り手の存在を感じさせているな、と別の作家で思ったことがある)


登場人物がたくさんで、あれ、この人は誰だったか、と思うことはあるけど、それすら、自分も小説の中に飛び込んだ気持ちで、これだけいろんな人が出てきたら自然なことだよなと思えてしまった。


たくさん作品があるから、しばらく楽しめそうで、それを思うだけで嬉しい。

紙に書く


籍を入れて、名字が変わりました。

自分の下の名前と並べて書いて、眺めたときの不思議な感じ。(これはやっぱり今だけなんだろか)



これに伴って、銀行などの名義からなにから、あらゆる機関に変更申請を出します。

これが案外大変だった。

何か一つ書類を出したら、ハイこれで一つ終了、ではなくて、その書類が正しく処理・反映されるまで時間がかかる。

書類は次々出しているのに、タスクをぽんぽんこなしている感覚が得られない。

これはなかなか焦れました。


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そこで、一つの手続きにつきチェック欄を3つ作ってみた。

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一つ目は、書類を入手したら。

二つ目は、ポストに投函したら。

三つ目は、変更が反映されてることが分かったら。


三段階でチェック✔︎を入れることにした。

そうすると、こまめに「任務完了感」が得られてとてもよかったです。

どこまで進んでるか、一目でわかるし。


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らくがきもできるし。





仕事でも、やることは紙に書きます。

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書き出すと、やることの多さにゲンナリすることもあるけど、整理されるし、頭に入る気がする。





パソコンやスマートフォン上の方が、あとから行と行の間に新しい一文を入れられたりして便利な面があるけど、筆記具で書くほうが好きです。


ペンを握り、紙の上に圧力をかけ、紙と机の反発を感じながら、文字を落としていく。

これが心地いい。

だから、何かをメモしているだけで、なんとなくずっと楽しさが付いてきます。


キーを打つ、画面をタップする

という行為よりも、

書く

という行為のほうが、長いお付き合い。 


「キーを打つ、画面をタップする」は

ナイフとフォークでステーキを食べるようなもので

「書く」はもう、歩くことと同じ。

(お箸じゃないんかい)


なんというか、遺伝子レベルで、体に無理のない動作になってるような感じがします。


喜びを感じるのは、現代生活のなかで、「書く」「描く」という古く馴染んだ行為に、体がホッとしているのかもしれない。




でも、このご時世。

いち早く、パソコンやらスマートフォンやら、デジタルの道具に浸かり、馴染んだほうが勝ちというか、ストレス少なく暮らせる社会になっていくんだろうな。


だからって、急いで飛び込む気にはなかなかなれない。

絵を描く、とか字を書く、が趣味の世界に囲われた非日常の行為になるのは悲しい。



そういえば、昔、受験勉強のときも、やたら何でも紙に書いて覚えていた。

英単語も、四字熟語も、歴史の用語も。

白い紙が、隅々まで文字で埋まって、今思うとちょっと狂気じみていたな。


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里帰り


きゅうり。

父が借りている畑でこの夏初めてとれた一本です。

特別な気がして、なかなか切れなかった。
いろんな方向からながめたり写真を撮り、
あとで絵に描こうと思い至って、
それでやっと包丁を入れ、浅漬けにしました。

こんなにきゅうりをしげしげと眺めたのは初めてでした。


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今年の夏の帰省。
新幹線のチケットを持って、スマホ、お財布、充電器、着替えときちんとかばんに詰めて、よっしゃ完璧、だったけど、
実家に着いて、トイレに入って、鏡を見て気付きました。
きょう、まゆげ、描くの忘れてた。

うわぁ。友達にも会ったのにな。

変わること


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両親が夏野菜をたくさん送ってくれた。

これはうちの庭のプチトマト。


実はプチトマトは少し苦手です。
別に食べられないほどではない、ものによっては美味しいけど、あの凝縮されたトマト特有のえぐみが気になる。

でも、送られてきたこのプチトマトは抵抗なく食べられました。
「おいしい、かわいい」と思いながら、ぱくぱくと。

よく、トマトやらピーマンやら、野菜が嫌いな子供が、自分で育てたものを素直に食べられるのと同じだな。
「う、うちのトマトや…!」
という特別な思い入れが舌を変える。

(まあ、もともとプチトマトに対しては、総合的に判断すると好感は抱いている。栄養があるし、お弁当の隙間は埋まるし




二人で暮らすというのは、
自分が自然に素直に過ごしているだけでは、大いに不足があり、相手を疲れさせることがあるとわかった。
気を張り巡らせること、ふーんと眺めるだけでなく捕まえて考えること、それを習慣にしていく必要がある。

悪意はなくても、毒になるなら、そのままにしていてはだめ。

意識を変えるのはきょう明日でできることではないけど、とっかかりや、一歩一歩は難しくないはず。
その工程をどこまで細かく砕いて飲み込んでいくかは自由。

時々、こういうことを書いて、抽象化、客観視をすることを忘れないようにしたい。
そして、足りていないのは運動と睡眠。
これもテコ入れしていかなければ。



さっき、好きなお笑い芸人のコントの一つを久しぶりにユーチューブで見た。
これまでに何度も見たコントなのに、
これまでは感じなかったメッセージに気づいて、少し感動した。

好きな芸人だから見るけど、うん、好きなコントベスト5には入らないなぁ。
笑いはするけど、どこにも触れられない、素通りしていく感がある。
そういう位置づけのコントだったから、驚いた。

いまの自分の中、抱えるものが変化したせいか、そのコントが刺さった。

こういう気づき、とても嬉しい。
プレゼントのよう。



(気にならない人もいるだろうけど、気になるひともいるかもしれないから、メモを兼ねて書いとこう。バナナマンの「ギリギリセーフ」)

いつも、できればこれだけは


急ぎの仕事を受ける。

「え!…ちょっと無理かもしれないけど…
    できる限り急いでみます」

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ええと、明日の午前中にこの仕事が本決まりして、来週の火曜にはここまで進んでないといけなくて、うんと、あー、ギリギリいける、かな…

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なんとなくスケジュールのめどを立てつつ、あちらこちらに協力を仰ぐ。
「この日にこういう仕事がいくんですが、対応できますかね?」
「それでは、何か問題が起きたりしたら連絡ください」

ギリギリに思えても、カレンダー上でなんとなくいけそうな仕事は、いろんな会社、人々の協力を得て、結局は遂行されることが多い。
「わぁ、本当ですか!ありがとうございます!」
やったー、なんとか間に合った。

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一方で、何か一つの手違いが起こり、
流れが滞ることも当然ある。
「え、資料がまだ着かない?先週末に確かに発送したんですが…どうしよう、困ったな」

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仕事は早い方がいい。その質も高いだけ良い。
社内でも、対お客さんでも。
予定通りの日程、もしくはそれより早く対応したり、期待されていたもの以上の価値を持たせて差し出すことができたら、素晴らしい。

けれど、常に可能とは言えないパフォーマンスは、しないほうがいいんじゃないかね、と思うことがある。

問題点は
○前できたから今回もできるでしょ、と思われてしまう。できなかったときに摩擦が生まれる。
○余裕のない仕事は、ミスを誘う。
○トラブルに対応する余白、マージンが持てない。

常に最短距離で突っ走れるわけじゃない。
そういう「踏ん張りどき」は時々はあってしかるべき、と思う。そういうときは、ここぞ、と大いに踏ん張れば良いのだけど…
トラブルが起きた場合に充てられる余白は、できるだけ確保しておきたい。

余白がないと、トラブルが起きたときに、問題が大きくなるように思う。
同時進行しているほかの仕事に響いたり、関係のない人に頼って巻き込んで、やっと収拾がつく、というケースが何度かあった。

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私生活でも同じ。
持てるだけ持つ、のは、自分が疲れる、だけでなく、そばにいる人にも悪い影響を与えることがある。

持てるだけ持つ、それは「頑張る」ことだ、無理をしてるんじゃない
そういうことも場合としてあるだろうから、一概に言い切れないけど。

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荷物は片手までにして、反対の肩には
「よゆう」をふわふわと連れて歩きたい。

何かあっても落ち着いて対応できるように。
新しいことに気がつけるように。


健康診断とバリウム


先日、健康診断に行きました。

初めてバリウムを飲んで、新鮮な思いをしたので、そのときのことを。

バリウムを飲むって、どういうものか、詳しいことを調べずに行きました。
会社の中で誰かと誰かが喋っていて
「まぁ、おいしくはないわな」
というふうな言われ方をしているのを聞いたくらい。

私はそれよりも、飲んだ後にお腹がどうなってしまうのか、不安でした。
「そのあとは出かける予定とかは入れないほうがいい」というのを小耳に挟んでいたので、一体どんな事態になるのかと。
その日はトイレに籠りきりになるのかな。それとも腹痛で寝転がってたくなるのかな。

(積極的な情報収集はしなくても、気にしているとそれとなく情報は集めているものですね。)


身長や体重、聴力の検診や採血を終え、外に出て、建物のそばに停めてある車の中へ上がります。

中に入り、着替えて準備をすると、まず顆粒の炭酸を渡されて、水で飲むように言われました。

これは、炭酸をお腹の中で弾けさせて、後から飲むバリウムを胃の中に広げるためなんですね。

私は初め、それを理解せずに、ゆっくり顆粒を口に含んで、炭酸が口の中でシュワシュワするのを「おおお」と味わいながら水を飲んでしまいました。

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(看護師さんが、炭酸を渡す時に説明してくれたけど、聞き取れなくて、「でもまぁ飲めばいいんだろうし、とりあえず」と聞き返さずに飲んでしまった。後から「あ、バリウムが十分広がってないのでもう一回炭酸飲んでくださーい」と言われて、2回飲む結果になりました。


次にやっとバリウムの入った紙コップを手渡されました。
どろっとして、ヨーグルトのような感じ。ヨーグルトよりもすこーし灰色がかっていたかな。

味は、なんと表現したらいいのか、妙な感じでした。食品ではない何かを摂取している感覚はありました。

バリウムだ、て話をしていたので、何かと見守って気にしてくださって、
「一気に行ったほうがラクですよ‼︎」

とそばで看護師さん達がアドバイスをしてくれました。

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ドロドロしているのでそんなにグビグビいけなくて、ゆっくり飲んでいたから、苦労してると思われたようでした。

一度コップを口から離して、「あの、ゆっくり飲むので、大丈夫です」と言いました。

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バリウムを完飲して、診察台?へ。
左右上下に台が動き、先生の指示に従って、手すりにつかまりながら体勢を変えます。
「ゴローンと半回転してください」
「足つっぱらない!」
「あと1センチ右に!そうです!」

こうか?あ、こうね?と口の中で独り言を言いながら、一人で台の上をゴロゴロ。

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「あと1センチ」って、心持ち1センチという意味にすぎないと思うけど、「これくらいかな?」と動かした位置で「そこです!」と即オーケーが出たので、その〈心持ち〉ってわりと共通の感覚なのかな、と思った。



バリウムのその後は、心配していたほどのことはありませんでした。
検診会場で「バリウムを飲んだ日はこうしましょう」という注意書きをもらったんですが、それに従えば、大丈夫でした。
とにかくお水をたくさん飲みました。




健康診断って、着脱衣しやすい服装がいいんですけど、家を出る以上、それなりに道を歩ける程度の格好はしなきゃいけなくて、ジレンマがあります。

本当は寝巻きみたいな格好で行きたい。

葉っぱ時代


あじさいの葉っぱ。

やっとスケッチが仕上がりました。
ももちろん好きで、それを心待ちにしているけど、だからこそ、
もうすぐあじさいの季節だなぁ(あの、いろんな紫色の花の玉が成るんだなぁ)
と思わせてくれる、
大きな、つるつるとして、もう雨に濡れているような葉っぱが好きです。

梅雨の前に近所で写真を撮って、
あじさいが咲く前に描けたらいいな〜
と思ってたのに、
いちばんあじさいがみずみずしく、
あちこちで見られる季節は終わってしまいました。
先週から蝉の声まで聞こえ始めて、
空はまだ真夏の空とは違うけど(色が淡い)、
次の季節が来たなぁと感じます。

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全然別の話です。
プロ野球や、映画など、あらゆるテレビ番組も含め「観る」ことは楽しいけど、どっぷり浸かったあとは、落ち着かない気持ちになる。
他人が活き活きと仕事をしているさまを、ただ自分は座って眺めていた
という実感が湧いて
私も何か、生産的なことをしなきゃ(したい)
と、焦りを感じる。

それで、落書きのようなものでも、絵を描いて、ホッとしたりしています。(自分以外にとっては生産的でもなんでもない)