籍を入れて、名字が変わりました。
自分の下の名前と並べて書いて、眺めたときの不思議な感じ。(これはやっぱり今だけなんだろか)
これに伴って、銀行などの名義からなにから、あらゆる機関に変更申請を出します。
これが案外大変だった。
何か一つ書類を出したら、ハイこれで一つ終了、ではなくて、その書類が正しく処理・反映されるまで時間がかかる。
書類は次々出しているのに、タスクをぽんぽんこなしている感覚が得られない。
これはなかなか焦れました。
そこで、一つの手続きにつきチェック欄を3つ作ってみた。
一つ目は、書類を入手したら。
二つ目は、ポストに投函したら。
三つ目は、変更が反映されてることが分かったら。
三段階でチェック✔︎を入れることにした。
そうすると、こまめに「任務完了感」が得られてとてもよかったです。
どこまで進んでるか、一目でわかるし。
らくがきもできるし。
仕事でも、やることは紙に書きます。
書き出すと、やることの多さにゲンナリすることもあるけど、整理されるし、頭に入る気がする。
パソコンやスマートフォン上の方が、あとから行と行の間に新しい一文を入れられたりして便利な面があるけど、筆記具で書くほうが好きです。
ペンを握り、紙の上に圧力をかけ、紙と机の反発を感じながら、文字を落としていく。
これが心地いい。
だから、何かをメモしているだけで、なんとなくずっと楽しさが付いてきます。
キーを打つ、画面をタップする
という行為よりも、
書く
という行為のほうが、長いお付き合い。
「キーを打つ、画面をタップする」は
ナイフとフォークでステーキを食べるようなもので
「書く」はもう、歩くことと同じ。
(お箸じゃないんかい)
なんというか、遺伝子レベルで、体に無理のない動作になってるような感じがします。
喜びを感じるのは、現代生活のなかで、「書く」「描く」という古く馴染んだ行為に、体がホッとしているのかもしれない。
でも、このご時世。
いち早く、パソコンやらスマートフォンやら、デジタルの道具に浸かり、馴染んだほうが勝ちというか、ストレス少なく暮らせる社会になっていくんだろうな。
だからって、急いで飛び込む気にはなかなかなれない。
絵を描く、とか字を書く、が趣味の世界に囲われた非日常の行為になるのは悲しい。
そういえば、昔、受験勉強のときも、やたら何でも紙に書いて覚えていた。
英単語も、四字熟語も、歴史の用語も。
白い紙が、隅々まで文字で埋まって、今思うとちょっと狂気じみていたな。