高校時代、校則がとても厳しかったという人の話を聞いた。髪を染めたりスカートを短くするのはもちろんのこと、お化粧もだめ、眉毛をいじるだけでも注意を受けたということだった。
お化粧くらい許してくれてもいいのにねぇ、とそのときは本音で相槌を打った。
ただそれから何日か経って、ふと、この「厳しい校則」は、わりとよく考えられたものなんじゃないかと思えた。
校則というのは、勉学に励むべき学生の、清潔で健全なイメージに照らしてオーケーかアウトかを判断するような、表面的なものではない。「おしゃれや遊びよりももっと別のことに時間を投じてほしい」というメッセージがそこにあるんじゃないかと思ったのだ。
私は日々時間に追われている。通勤の電車の中でメールの返事を打とうとか、今夜はご飯の後に何でもいいから絵を描きたい、とか、30分や1時間単位の空き時間の使い方をいつも考えている。
それなのに、しばしばスマホでネットサーフィン(なんかこの言葉もう古い感じがするなぁ)にふけってしまい、自ら貴重な時間を潰してしまう。そうやって大した思い入れもない事に投じた時間を1カ月とかで掛け算すると、かなりの時間になる。
話を学生さんのことに戻したい。お化粧を例に取れば、朝も晩もそれなりの時間がかかる。化粧品選びも楽しいし、のめり込めば研究の尽きない世界だと思う。
学生はほかのことに興味を持たないのがいい、とまでは言わない。大人になる前に誰でも、ちょっとした遊び、脱線、綱渡りをしなければいけないとも思う。
ただ勉強も部活も、その時その立場でしか時間をかけられないことである。また、体の成長にとって大切な時期に充分な睡眠をとるのも、あとから補てんの効かないことだ。
大人になっても時間の使い方は難しい。(自分がだらしないだけかな…という考えがよぎるけど、話が進まないので言い切ることにする)学生のうちは、そうしたルールでうまく縛って、かけがえのない時間の使い方をさせてやろうというのが校則なのかもしれない。
こう言われても、学生はそう簡単に説得されないと思う。だけど、押し付けがましくても、ルールという形で大人の保護の目、思いやりを常に注がれていることは、意識の上では歓迎されずとも、若者とっては大切なことのように思える。
私が通った高校は校則が緩かった。けれど私は髪を染めず、耳に穴をあけず、スカートの裾をつめることもしなかった。化粧もせず、なんなら夏に日焼け止めを塗るのすら忘れがちだった。
結局3年間、地味な格好で通した。興味のない体を装いながらも「自分もかわいい格好をしてみたい」と心の隅では少し憧れていた。ただ、とにかく自分に自信がなく、何をするにも気後れがして、自分の殻から出られなかった。言い方を変えると、まだ殻から出る時期を迎えていなかった。
けれど、みんなが思い思いの格好をしている環境は好きだった。どんな風でもいい、というのは心地よかった。
最後の最後に、書いてきたことを自分でひっくり返してしまった気がするけど…。
校則は良い悪いを論じるのが難しいなぁと思った。まず何を、誰の満足をゴールにするかで意見は様々だろうし、またそれを課される若者の状態が一様ではない。
この日記では、これまでどちらかというと若者目線で「うっとうしいなぁ」という印象でしかなかった校則に対して、新しく芽生えた視点をまとめられたと思って終わることにする。