暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

人としての素直な気持ち


依頼された作業を進めたら、依頼内容に間違いがあったと後から言われ、同じ作業をもう一度やる羽目になることがある。

その時に感じる脱力感、怒りの大きさに自分で少し驚く。

向こうは向こうで誰かの指示に従ってこちらに依頼をしたに過ぎず、その人が急に指示を翻してきたんだろう。自身に手抜かりがなくてもこちらに再依頼する立場上「申し訳ございません」とか言わなくちゃいけないこと、その電話をする気の重さ、などを思い浮かべることはできる。

それに、二度手間になった私の仕事は、たとえば作ったばかりのピラミッドを崩してもう一回建て直す、というほど難儀な仕事ではない。数分で済むような簡単なことばかり。

それなのにこんなに苛立って格好悪い、と反省する。

(これはたぶん仕事の流れが妨げられたことに対する憤りなのだ。これをやったら次はあれを、という二歩三歩先までの心づもりが崩されて、もう一度仕切り直しになる。その方向転換が気持ちの上で何より重いのだ。)

ちなみに、その作業が済んでしまえばけろっとしている。私の初動、フットワークの重さだけが問題なのだ。先方は大げさに感謝してくれるし、もとより仕事は人のためなんだからある程度の方向転換は織り込み済みよね、という真っ当な考えも湧いてくる。


日々、感謝上手、褒め上手の人に動かしてもらっているなぁと感じる。

ことの大小は関係なく、とにかくこちらのために腰を上げてくれてありがとう、という姿勢に助けられる。方便でも建前でも嬉しい。

それがあって当たり前、じゃないんだけど。それは頭では分かっているけど。

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ここのところ何度も書いていた口内炎が、やっと治ってきた。ここ数日使った口内炎パッチも回復を早めてくれたようである。とりあえず一安心。


口内炎 その後


口内炎、これがピークじゃなかったらどうしようと昨日の朝に書いたけど、はたしてピークじゃなかったようです。昨日、今日と大きさも痛みも増してる気がする。

お腹は空くけど食欲は減って、晩御飯の準備に対するモチベーションが今ひとつ。でも食べたいのはやっぱり自分が作ったご飯なので、もたもたと手際悪く料理して、痛い痛い、アウアウしながら食べる。

塗り薬を探しに出かけたけど、ドラッグストア内をざっと回って見つけられず、店員さんに話しかけるのも億劫で(喋ると痛い)、帰ってきてしまった。

でも、塗り薬は結構効くよ、と教えてくれた人がいて、それだけで少し気が楽になった。いざとなれば塗り薬がある、と。

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昨夜は気休めに、歯磨きのあと、イソジンでうがいをして床に就いた。

痛いのにはまぁ慣れた。今はこれがどこまでひどくなるのか、という不安が大きい。唇をめくったとこにあるんだけど、この子達、唇まで侵食してくる気じゃないか、とハラハラしている。そうなったら病院に行かないとな。何科かわからないけど。(皮膚科かな?)

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(お願い…そこでおとなしくしてて…)

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他のことが考えられない


口内炎がいまピークを迎えている。と、思いたい。これがピークじゃないとしたらどうしよう。

仕事中はずっと口元が気になり、痛みが気になり、なんとなく開き気味になる唇が乾いてそれがまた気になり。

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ご飯を食べるときは、反対側に食べ物を寄せて噛む。家でだけ。会社ではちょっとできない。(したっていいのかなぁ。でももう30歳過ぎたしな。入社3年目くらいまでならかわいいけどな)

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歯磨きをするときは、患部に歯ブラシが当たらないよう、ほっぺを引っ張りながら磨く。

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口内炎たち

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(思い切り噛んで、傷になったところがそのまま上下二つ、口内炎に成長した)



夏の終わりと口内炎


アマゾンプライムで映画の中で、真夏の光景を見た。青い空に白い雲、蝉の声。主人公が汗を拭きふき歩いている。
ついこないだまでこんな気候で、毎日ふぅふぅ言いながら生活していたのに、ひとたび涼しくなればもう遠い昔のことのようで、懐かしく思えた。

久しぶりに思いっきり口の中を噛んで、大きな口内炎ができた。
人が「口内炎できてる」から聞くと、じゃあトマトは避けようね、とか柑橘系痛いよね、とか考えるんだけど、自分が実際なってみると、何食べても痛い。(もちろんあえてトマトを食べようとは思わないけど)
今週は新しいことを勉強し始めて、楽しくて、アドレナリンが出ていたのか、疲れを感じなかった。でも週の終わりに口を噛むというのは、やっぱり体は疲れてたんだなと思った。
口内炎て、人に見せたくなるんだけど、家族か友達以外にはなかなかできないですね。唇べろっとめくって「見て見て」って。(会社の人にいきなり見せられたら結構びっくりするだろうな)
近しい友達はふだん気軽に会う距離にはいなくて、口内炎を披露できる間柄の人は旦那さんくらい。(もちろん見せた)

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誕生日カードを描きました。


手持ち無沙汰をスマホで埋めない


会社から帰るとき、スマホを触る癖がついている。特に用はないのに、一人になるやいなやカバンから取り出して、ラインを確認したり、ネットニュースを見たり。

家に帰るより一足先にくつろいだ気持ちになれるようなところがあって、やってしまう。

だけど近頃は混雑する電車内でスマホを触るのがためらわれることが多い。大人しく突っ立ってるだけのことが増え、それで気づいたことがある。

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何を考えるでもなく電車に揺られていると、いろんなことが自然に浮かんでくる。

電車の揺れが頭の中のものをふるいをかけるように、日常のこまごまとした用事、一度「やらなければなぁ」と思って忘れていたことが手前に出てくる。

スマホを見ていると退屈はしないけども、新しい情報がひっきりなしに入ってきて、頭がその取捨選択を行う。仕事で疲れているのにさらに頭を使い続けることになって、楽しさはあっても疲れてしまう。

目や頭を休めるために「ボーッとするほうが良い」ということは当然で、加えて情報の整理が無意識下で行われ、思い出したほうがいいことを見えるところに置いておいてくれる。

手持ち無沙汰のときには素直にボーッとするのも良いものだなと思った。



ちなみに、両親に送るつもりだったお菓子は賞味期限がぎりぎりに迫ってたので、自分で平らげた。(おいしかった)

送ろうと思ったらさっさとしないとだめだな。

台風が過ぎて


台風の影響で電車が遅れていて、会社に遅刻した。

何時くらいに着きます、と途中で職場に連絡して、ちょうどぴったりその時間に着くことになった。見当があたると気持ちがいい。


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私は気が小さい。手ごたえがなければ途端に落ち着かなくなる。

言ったことややったことに対して相手の反応が鈍いとき、何か間違っただろうかと不安に思う。何も言われないうちから、ふつうはどうやるものだったのだろうか、とうろたえたりする。

はっきり間違いを指摘されるともう平常心が保てない。その行動をとるにあたりそもそも自分の意思や意図があったはずだけど、ほかならぬ自分自身がそれを尊重してやれない。そこに一定の自信があれば動揺しないでいられるんだろうけど…。

もっと大きく構えていたいと思う。優しくされる前に優しくしたい。誰を相手にしても、それがいつも難しい。


本は本棚から出てくる


読みかけている本を、料理の合間合間に読むので冷蔵庫の上に乗せておいたりする。また夜寝る前にリビングで読んでテーブルの上に伏せておいて、翌朝早起きしたときにその続きを読んだりする。

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その都度きちんと本棚に戻すほうが部屋は散らからなくて良いけど、そうするとなかなか読み進まない。読みたい気持ちがあるなら本棚へ都度足を向けられそうなものだけど、意外とそうではない。

台所や居間など、生活の動線上にしれっと置いてあるほうが、自然な流れで、空いた時間などに頻繁に取り上げて読める。

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どちらかというと整理整頓好きで、散らかってるのにストレスを感じる。いろんな道具は「使ったら元の場所に戻す」が一番と思っている。

(旅先から帰ってきたら、疲れてはいても、洗濯物はすぐに出し、カバンに詰めてたものは部屋の元の場所に片付け、カバンをカラにする。

ボストンバッグなどが帰ってきたなりで部屋の隅にあると気にかかって、片付けないとくつろげない)

ただ、同時に横着でもあって、コレまた使うしなぁ…と思ったら片付ける手間を取らずにその辺に置いておく、ということもしばしばやる。同じ人間のやることか、という感じだけど、そういう面がある。

ことに本に関しては、なんとなく本のある風景っていいなぁとすら思っているので、余計ハードルが低くなる。

このほど、ひと月ほど読んでいた文庫本を読み終わって、本棚へ戻した。

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(ヒサシブリノワガヤダナー)