暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

歌と踊りと歓声と


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少し前に、東京ドームへライブを観に行った。開演は夕方で、帰りは遅くなるからと着込んで出かけたけど、会場は温かかった。空調が入っていただろうし、人の熱気もあった。Tシャツの人もたくさんいて、コートは場違いだった。

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いまをときめく有名人が目の前に現れる、これから時間を共にすると思うと、なんだか信じられないような気持ちになった。

嬉しいというよりも、常識では考えられない超常現象が起こることが宣言され、それを待ち受けるようでワクワクした。

実際は、ステージの上の彼女らは米粒か胡麻のようなサイズで、思っていたような興奮が押し寄せることはなかった。鼻血や熱を出して倒れるんじゃないかと密かに危惧していたので、拍子抜けと安心を同時にした。

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ライブ中の盛り上がりはすごかった。その姿がはっきりと直視できる席はほんの一部で、私と同じように誰が誰だかわからないような距離の人が大半なのに、そこにいる、という事実だけでこんな熱狂が起きる。この人たちは何人かでそれを起こしてしまう、ということに圧倒された。それが眩しくて少し羨ましくて、観客の一人として盛り上がりながら、寂しいような切ないような気持ちになった。


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帰りは旦那さんと二人で地元の居酒屋へ。時間が夜10時を回っていたのにがっつり食べたせいか、腹痛を起こして、家までお腹を抱えるようにして歩いた。

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雪の日、晩ご飯のこと


きょうは雪が降った。足元は冷え冷え。仕事中はいつも以上にブランケットを脚にきっちり巻きつけ、足首から太ももまで、ミノムシみたいにしてパソコンに向かっていた。

雪は昼前にはもう降っていた気がする。刻々と激しくなる降りっぷりに、午後早々には、交通機関の遅延が危ぶまれるのでもう帰りましょうということになった。

部署全体で、きょうはそうなるかも、と話があったので、内心落ち着かず、まとまった仕事に手をつけられなかった。(たぶんみんなそうだっただろう)


外に出て歩くと、四方八方から雪が体にまとまりついてくる。傘なんてほとんど意味ないな、でもささないよりは、と思って信号待ちをしていたら、となりで女子高生たちが数人でキャッキャしていて、

「傘意味ないよね」「ねー」「でも顔は守られる」「あー顔に雪がばんばんぶつかってくるのは何気に嫌だよね」

と話していて、私もそう思ったわ、と心の中で相槌を打っていた。

思ったことを思ったときにそのまま、口にできること、そういう相手がいることも合わせて、素晴らしいなぁと思った。

会社では、言おうとしたことを光の速さで検分し、オッケーかアウトか判断をしながら喋っている。社会人として当たり前のことかもしれないけど、私はそれにちょっと疲れている。



幸い、本格的に遅れ出す前に普段通りの路線で帰り着き、スーパーで夕飯の買い物をして帰った。


いつもより早く夕飯支度を始められたのでメインのほかに手のかかる副菜を作ることができた。五目きんぴら(手がかかるといっても、切る材料が多いということだけだけど)、それにサラダ。


玉ねぎを薄切りしていて、切られた玉ねぎがきれいだなぁと思ったのでスケッチした。そうしたら、その横のゴボウが主張してきたので描き加え、包丁も「あの…私は」という顔をしたので追加した。

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明日は電車動くだろうか。少し早めに家を出たい。いつも歩いている駅までの道もゆっくり歩かないといけないだろうから。


電車の遅れで会社に間に合わないのはこちらの落ち度ではないので気にしないでいいと思っている。

遅延があったとき、勤め先に電話する車内やホームの皆さんの感じ、とても気ぜわしい。1分でも早く会社に着こうとしているような。少なくとも、そういうパフォーマンスが必要とされていると感じさせる。(私が社会人になったころ、約10年前と比べたら少し柔軟になっているように思えるけど。電話してる人は減ったと思う。メールでの連絡にシフトしただけだろうか)


野菜炒め・チャーハンの話


きのうの晩御飯は豚肉の野菜炒めを作った。

塩胡椒した肉を入れ、少ししてから火の通りにくい人参を、半分くらい肉の色が変わってからピーマンを入れた。調味料はウェイパーを少しと、めんつゆ。

年始に里帰りしたときに母が、ウェイパーを使ってしまうと、おいしいけどその味になってしまうよね、最近は中華は鶏がらスープの素を使ってほかの調味料と合わせてるねん  と言っていた。その言葉に影響を受け、ウェイパーだけがっつり入れるのに抵抗を感じてめんつゆと合わせてみたんだけど、わりと美味しく仕上がった。


創作というほどのことではないけど、その場の思いつきで好きにやり方を変えてみて、うまいこといくのは気持ちいい。

何年も台所に立つうちに最低限の常識が身につき、とんでもないことはしないようになったのだなと思う。


ウェイパーで思い出したけど、チャーハンはいつもどこか不満の残る仕上がりになる。

味が薄過ぎたり(濃いより良いんだけど)、ベチャッとしてパラパラしなかったり。パラパラさせよう、と思って火力を上げると焦げ付いて、ご飯を無駄にしてしまう。

休みの日とか、数え切れないくらい作ってるんだけどな。まだ仲良くなれないな。

台所でのこと、料理のことならいくらでも書けそうだ。


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いつも目の前にある洗いかご。いつももりもり。


5年日記のこと


2016年の年始から5年日記をつけている。今年で3年目。

読み返すのが面白い、の一心で、なんとか続いている。一ヶ月まるまる書かなかったりするけど、なんとか続けている。

旦那さんと暮らすようになってからは、その日に食費としていくら使ったか、それも合わせて書くようになり、数週間分のレシートを日付順に重ねて、それを見ながら書いている。

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日に日にレシートで膨らむ財布に、「ほら、日記そろそろ書かな!」と急かされて、それでもひどいときは一ヶ月開いてしまう。

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こうなるともう、その日の出来事なんて思い出せない。食費を書き込むので精一杯だ。

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レシートを見て芋づる式にその日会ったことを思い出すこともあるけど、ほんとにこれだけ書く日も少なくない。


日付の横に、その日のお天気を書く欄があるんだけど、いつもイラストで記入している。

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これは…なんだろな。曇り時々晴れ、とかかな。


元気になったらまた走ろう


三が日まで東京で過ごし、それから実家に帰省した。

新幹線は空いていて、私が座った二人がけの席の隣は、着くまでずっと空席のままだった。


実家ではのんびりした。出てくるご飯を食べて、甘いものも片っ端からいただいて、気の赴くままに本を読んでいた。Kindleに入れた小説と、家にあった本を2冊ほど。小説と、精神科医のドキュメンタリー。後者は難しい箇所を飛ばし飛ばしでパーっとさらった。


三食、ご飯は両親と食べた。少しだけ家の手伝いをやり、夜寝る前はテレビを見ながら母と一緒にヨガのポーズをやったりした。

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これは、着いた晩に食べたおせちの残り。かまぼことしめさば。(しめさばの両サイドにはなます)


ゆっくりお風呂に浸かって、温かいお布団にくるまるとき、これぞ幸せ、と感じた。

幸せは求めているときは明確なのに、その中に身を置くとわからなくなるものと思っていたけど、お風呂とお布団は別だなぁと思った。

とくに人に用意してもらったお風呂、寝床が心地よいのかもしれない。



羽を伸ばし、元気をチャージできたな、ということが、会社が始まり日常に戻ってからわかった。面倒なことや理不尽が簡単に受け流せる。逐一いらいらしない。

なかなかこういう状態を保つのは難しいけど、よく寝て好きなことをするとこんなに良い感じになるんだな、と覚えておく。


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年賀状に載せる戌の絵を両親から頼まれて、なんの迷いもなく黒柴を描いた。

実家で飼っていた黒柴は、子犬の時から脚が太くて可愛かった。


2018年 戌年


あけましておめでとうございます。


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東京で過ごすはじめての年明け。

これまでは実家で年末からワイワイしていたので、旦那さんと二人なのが新鮮に感じる。


初めてのおせち料理。かまぼこに昆布巻き、数の子など、市販のを買ってきて、あとは何品かこしらえた。

黒豆、筑前煮、田作り、それとお雑煮を。田作りはおいしくできたと思う。少なくとも実家のと近い味になった。

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昨年は生活が変わり、初めてのことがたくさんだった。入籍して姓が変わり二人暮らしになった。

楽になったこともあり、また新しいことを身につけないとも感じている。このブログを息抜きにして、ぼちぼちいこう。


今年もどうぞよろしくお願いします。


師走ハイ


たまに、自分のとった行動が間違っていたのではないか、常識がないと思われたんじゃないか、と不安に駆られることがある。もしくは「間違っていた」とはっきり思い、落ち込んでしまう。

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・あのとき友達に言ったこと。

・しかるべきタイミングでLINEしようしようと思っていたのに、文面でムニョムニョしてるうちに送りそびれたこと。

・昨日の昼休みの同僚との世間話、私の一言で変な流れになった気がする。


などなど。


ただ、しっかりしないといけないときはしっかりするものだ。ゆとりがあるから逡巡し、焦り、自然な言動が取れないのかもしれない。

私は人より気が回らず、反省をすることが多いけど、それはできる限りの誠意で対応するしかない。

いらないのは、やってしまったことをただクヨクヨするだけの時間だ。いや、そういう時間はあってもいいけど、それだけで終わることがまずい。


調子のいいときは、瑣末なことは後ろに流し振り返らず、少し前だけ見てスタスタ歩ける。やらかしたことも、カバーするためのこれからの行動として前向きに持っていける。

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そういうときは、自分で思っている以上の能力が発揮されたりする。

いつもこうはいかないけど、自分もときには俊敏な対応ができるのだ、とこっそり誇らしくなる。


これは、師走ハイというようなものなのかもしれない。一ヶ月という時間は同じ、でもやることはいっぱい。過ぎたことを頭の中でアレコレする余裕もなくドタバタと生活を走らせる中で、効率のいい走り方をひとつ掴んだのかもしれない。


(過去のことを取り出さないのと同様、電車の中などで気になる物事をキャッチすることも自然としなくなり、それは寂しい。しょうもなくてもいいから、そういう感受性には常にそばにいてほしい)