これはどうしたものか
先日ふと、私は育児をしていて「疲れた」と思いたくない、言いたくない病なんだと気がついた。
会社で仕事をして来れば、素直に疲れを感じ、家に帰ってきて「あー疲れた!」と言えるのに、今はなぜだかそうではない。
理由はよく分からない。今はくたくたで、ちゃんと分析しようという気にならない。
なんとなく分かるのは、この可愛さのかたまりのような我が子とベッタリで過ごす日々と、この暴力的な疲れが頭の中でどうしてもお互いを認め合わない。頑なに背中合わせでいる。
厄介なことに、会社から帰ってきて「疲れた」と言える夫にどうしても嫉妬を感じてしまう。
で、自分も負けじと「疲れた」と口にしたところで、そもそも自分がそれを認めたくないので、スッキリしない。
こんなどうしようもない、自分でもよくわからない数々の心境を飲み込んで、その結果自然と表情と言葉に染み出す何かごと、子どもに向き合っていくことが、病的だとは別に思わない。(それがあまりに暗い、殺伐としたものであればなんとかしたいけど。あと、その道すがら夫のことを蔑ろにしていいわけでもない)
気持ちは微妙にも刻々と変わるし、この長丁場、一つ一つ丁寧に意識して対処して、この先もきっとしてられないのだろうな。
できれば、これは何だ、なんとかせねば、そういう気持ちは常に携えながらも、すぐになんとかならないからといって短気は起こさず。
前回、季節がもうすっかり春に向かって進んでいるようなことを書いたら、また寒さが戻って、冬のコートを着る日が続いた。
そう、この時期ってこんなふうに行きつ戻りつするんだった。
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