服のこと、本の読んで考えたこと
金木犀(キンモクセイ)が香る季節になった。
必ずその木を発見するとも限らないけど、住宅街を歩けばほんのり香りがする。
一度とらえたら、実際香ってないところでも香っているような気がするのか、もうそのあたり一帯どこを歩いても香りがついてくるように感じる。
(近くに寄った時だけ匂いのする花と、遠くまで匂いを行き渡らせる花とがあるのかなぁ)
話は変わって、服のこと。
季節がまた少し進んで、昨日と一昨日は長袖一枚で出かけた。帰りに寒くなったらと思ってストールをカバンに突っ込んでおいたけど、結局取り出す機会がなく入れっぱなしで、外出中に出し入れのあった水筒やら本やらをその上から入れたので、もう下の方でギュッとなっているだろうな。(まだ取り出していないという)
先週、この季節仕事に来ていける長袖が3着しかないのが心細くなって、ゾゾタウンであれこれ物色していたけど、その3着がまだまだきれいで下にも合わせやすいということに、久しぶりに着てみて気づけたので、ニットを着る季節までそんなにないだろうし、この布陣で踏ん張ってみようかなと思った。
今とてもためになる本を読んでいる。
いろんな価値観に触れられる今、人は自分が心の底から喜びを感じること、しっくりくることをはっきりとは知らないまま生きてしまいかねないなと思った。
とりあえず、私は会社の仕事が結局はそこそこ楽しいのだということを気持ちよく認めたいと思った。
事務仕事に創造性はなくても、またずっと同じことをしているからキャリアとしてどうなの(勿体ないんじゃない)と時々人から言われるのでそれをコンプレックスのように思っているけど、そして趣味に没頭する喜びと比べたら全く深みはないのだけど、それでも地味に楽しい、どちらかというと好きなのだと。
一つのことに精通してそれだけ、というのは会社的には歓迎されないし、本人のキャリア的にも弱みであろうけど、私のような人間には、毎日同じところをなぞって、目を瞑っても歩けるような感じを味わうのは、結構面白いのである。
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