暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

調子が悪いとお皿を割る

子どものおかずを入れる用のお皿を一つ、割ってしまった。

プラスチックとかじゃないから、いつか子どもが割ってしまうだろうけど、落としたら割れるものだと理解する足しになるならいいか、と話していたけど、まさか自分で割るとは思ってなかった。あーあ。

(朝ご飯の準備がいちばんドタバタしている時で、我ながら危ういところに置いてるなー、と知りつつ、その横で別のことをしていたら、案の定。それでおかずが一品ダメになったのも痛かった。)


きのうは家で子どもと二人で過ごした。午後に頭痛がひどくて、遊んでやるのが辛く、這うようにして台所まで行ってお湯を沸かし、ノンカフェインではない紅茶を飲んだら、ラクになった。

体調が良くないとき、午後に一度辛い時間帯が訪れる気がする。

ラクになったのはその時間帯を乗り切ったからか、カフェインのお陰か、はたまた温かいものでお腹を温めたのがよかったのか、わからない。


お砂糖が無くなりそうで、買い置きがないのにちょっと焦っている。

塩と違って使うときは小さじ1、大さじ1という単位で使うから、残り少ないなと思ったらあとは早い。(塩と違ってみりんなど、代替の調味料はあるけども)





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出かけて、本を読んで


ゴールデンウィーク前半、貴重な晴れの日に、家族3人で少し遠方の公園に出かけた。

写真や動画をいくつか撮ったら、どれも写りが素晴らしかった。広い青空と午前中のさわやかな日差しが、写真を何倍もきれいに仕上げてくれたようだった。

午後の西日もきれいだけど、ちょっと頑張って午前中から出かけるのはいいなと思った。これから一日が始まる、まだ日の前半だという気持ちも余裕を与えてくれた。


話は変わって、少し前に、いつも読ませてもらっている方のブログで紹介されていた本が気になり、このたび買って読んでみたら、面白く、ためになった。

こういうことはこれまでも時々あった。会ったことがなくても、ブログの内容によって、普段から(一方的にだけど)親しみを寄せている人のおすすめ本は結構あたる。


機会があれば自分も何かさらっと、押し付けがましくない感じで、これよかったよ、と書いてみたい。



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復職のシミュレーション中

早起きしてアレコレして、それから子どもを起こそうと目論んでいたところ、ちょうど私が起きようと思う5時半台に子どもも自然と目を覚ましてしまうことが分かった。

じゃあ、それに先んじて、さらに早起きしなきゃいけないのか…と落ち込んだ。(大げさだけど、いったん考えた朝のスケジュールをまた見直す、ということに、気持ちがドッと疲れた)

それでなお、何日か試行錯誤したあとに、降りてきた考えは、結局、子どものリズムに合わせるように自然と回っていくのだろうな、ということ。

育休中の生活は、これまでずっと、そういう形で成り立っていた。

もっと小さな頃から、月齢に応じて睡眠パターンや食事の回数、日中の過ごし方は変化した。大人は都度それに沿うように生活を調整してきた。

仕事が絡むとなるや否や、何時までにアレやって、次にコレやって、と急にキチキチ組み立てて、そこに子どもの起床や着替え、食事をはめ込もうとしてしまったけど、これまでを振り返れば、「何でそれができると思った?」レベルの話だ。

タスクを隙間なく埋め込むんじゃなく、ゆったりと確保された時間にふたつみっつ、タスクを放り込んで、ぷかぷか浮いているのを眺めるイメージでいるのがいいな、と思った。


[子どもがいる生活]という大河を一見流されるみたいに進みながら、溺れないよう、その時その時向かう方向は知ってしっかり手足を動かし、うまいこと運ばれていくしかないな。(主体的なんだか受け身なんだかわからない心構え)


仕事が始まってからのほうが、通勤中に読書が進むかもしれない。



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病院に行った話など

月一で同じように体調を崩すので気になって、病院に行ってきた。

そうしたら、典型的な偏頭痛ですね、とのこと。

問題があるなら胃かなと思っていたのでちょっと驚いた。

精密な検査をするなら脳の方でしょうけど、まあ必要ないと思いますよと言われて、ホッとした。

もっと、「うーん、疲れだと思いますけど何でしょうね?」みたいにボンヤリ診断がされるかと思っていた。

それならそれで、「あ、お医者さんが見てもそんな感じなんだ、じゃあまあこれ以上疲れを溜めないようにしつつ様子見でいいや」と思える、そう思って診てもらうことにしたのだ。(お医者さんを侮るなという感じだけど、これははっきりした名前のつく病気ではない、いろんな要因からくる不調で、お世話になるなら漢方の世界かと思っていたのだった。)


それにしても、これまでありがたいことに日頃から頭痛と縁がなさすぎて、偏頭痛というのは、頭の右か左かがズキズキと痛むやつを指すと思っていた。

頭の中心へ、次第にボヤ~とやって来る痛み方をすることもあるんだな。

軽い段階では、そこまで日常生活に支障がないので、一緒にいる夫にわざわざ報告しない。

昔から私より頭痛持ちの夫が、話の流れで「今日は午前中頭が痛かった」等と後から言ってきたときに、「え、それならその時言ってよ!」と思ったりしたけど、その時に強いて告げない理由が理解できた。

この程度ならいつも通り動けるし、知られて心配されるのが逆に煩わしいというか、負担になる、そういう時があるんだな。


家の近くの公園の桜が満開を過ぎた。

それでもまだまだだきれいで、通りすがりの人が皆スマホを向けている。

この圧巻の光景をいくら写真に収めたくても、実際目で見るのには敵わない。

できるだけ通って眺めておこう。


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連休中に描いた子どもの絵。

パズルを握ってニヤニヤしている。



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これはどうしたものか

先日ふと、私は育児をしていて「疲れた」と思いたくない、言いたくない病なんだと気がついた。

会社で仕事をして来れば、素直に疲れを感じ、家に帰ってきて「あー疲れた!」と言えるのに、今はなぜだかそうではない。

理由はよく分からない。今はくたくたで、ちゃんと分析しようという気にならない。

なんとなく分かるのは、この可愛さのかたまりのような我が子とベッタリで過ごす日々と、この暴力的な疲れが頭の中でどうしてもお互いを認め合わない。頑なに背中合わせでいる。

厄介なことに、会社から帰ってきて「疲れた」と言える夫にどうしても嫉妬を感じてしまう。

で、自分も負けじと「疲れた」と口にしたところで、そもそも自分がそれを認めたくないので、スッキリしない。


こんなどうしようもない、自分でもよくわからない数々の心境を飲み込んで、その結果自然と表情と言葉に染み出す何かごと、子どもに向き合っていくことが、病的だとは別に思わない。(それがあまりに暗い、殺伐としたものであればなんとかしたいけど。あと、その道すがら夫のことを蔑ろにしていいわけでもない)

気持ちは微妙にも刻々と変わるし、この長丁場、一つ一つ丁寧に意識して対処して、この先もきっとしてられないのだろうな。

できれば、これは何だ、なんとかせねば、そういう気持ちは常に携えながらも、すぐになんとかならないからといって短気は起こさず。

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前回、季節がもうすっかり春に向かって進んでいるようなことを書いたら、また寒さが戻って、冬のコートを着る日が続いた。

そう、この時期ってこんなふうに行きつ戻りつするんだった。



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季節の話、台所のその後


ふと気がつけば、家の前の街路樹の根元に点々と生えていた雑草が、青々として、大きくなっていた。

着る物と風の匂いも春めいてきた。

そんな中でまだ裸の桜の木を見ると、いやいや、ほんのつい最近(先週か先々週?)まではコートを着てたよなぁと思い出したりする。


台所のその後のこと。

電気圧力鍋のおかげで、一番手間のかかるメインディッシュが楽に作れる日が増えた。

ただ、メインを圧力鍋に任せて、汁物や副菜を自分でちょこちょここしらえた夕飯は、なぜだか「一品足りなかったな」とか「色味がちょっと寂しいな」と感じる献立になることが多い。

たぶん全部自分で作る方が、出来上がって食卓に並ぶおかずを全体的に意識でき、品数にせよ彩りにせよ、料理しながらその場その場で調整しやすいんだと思う。

電気圧力鍋だって材料を切るところまでは自分でやるわけだけど、蓋をしてしまうともうその中にある食材を意識しないので、献立全体を俯瞰しにくくなるみたいだ。

あと、電気圧力鍋をメインに使う日は、まるで誰か他の人の仕事を手伝ってサブの仕事だけやる感じがして、ラクラクだけど、なんだか身が入りにくい感じがある。

いずれも微妙なことだけど、鍋が一つ増えただけ、道具が変わっただけ、以上の変化を感じている。

時間的にはラクになっているはずなんだけどな。そのうち自然と慣れて、しっくりくるようになるかな。



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お布団であとは寝るだけ、という幸せ。

そういえば近頃はうまく睡眠がとれているようで、昼間に睡魔に襲われることがない。




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今日も台所仕事のことを考える


台所に、電気圧力鍋がやってきた。

煮物やスープなど、あれこれ作れるし、予約調理も可能なので、たとえば朝仕込んでおくだけで夜に一品出来上がっている。

日々台所仕事をへえへえ言いながらやっていて、それでいてなかなか自身のやり方にメスを入れないので、おそらく見かねた夫がこういうものを買ってみては、と言ってくれた。

今夜その圧力鍋で作ったのは、粗みじん切りにした野菜たちと鶏肉、少量のルーを入れて作るカレー。

これがもう、悔しいくらい美味しかった。


元も子もないことを、ここだけで言うと、

これを自分でお鍋でコトコト作れたらどんなに嬉しかったろうなぁ。

心ゆくまで手間暇かけて料理をして、それでいて余裕でニコニコしていられる暮らし方ができたらなぁ。

ただ考えてみれば、生活の中での料理は、時間を忘れて打ち込むようなものでも、また思いつきでダラダラとやるものでもないな。

計画性と手早さが、一定の美味しさを生むと思う。

さしあたって、全体的にもうちょっと手早くできればだいぶ違うんだろうな。

集中してガッと30分前後でメインを含む二品とかを作ったり、できなくはないんだけど、私には少し気合がいる。

それを常日頃から心がければ、当たり前にできるようになるだろうか。

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家事育児をしながら外に仕事をしに行かないといけない立場を憂い、料理にもっと時間を割きたいと愚痴を書くつもりだったけど、どんな立場であっても台所仕事は手早さが必要、という考えに至ってしまった。

作る品数を半分にするような方法ではなく、必要なものは計画、工夫によって作れたらいいな。(すなおに調理家電の助けも借りつつ。)

なんだか気が滅入っていたけど、元気が湧いてきた。(ブログはこういうことがあるから嬉しい。)




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