いろんなことについて、わりと「私はどっちでもいいよ」と言ってしまうので、しばしば、「もっとこだわれ」「積極的に関われ」と呆れられたり、「決定や選択の責任を全部押し付ける気か」と怒られたりする。
私は人の意向、顔色のほうが大切であって、先に向こうから意見が出れば、「じゃ、それで」とすんなり言ってしまう。どんな小さなことでも、いくつかの選択肢を一緒に検討することは大事だと思うけど、いわゆるディベートの経験値が低く、意見を戦わせること=ケンカ、のように感じて、「そこまでして…」と重たくなってしまう。
また、そもそも、実際人に比べて、色んなことへのこだわりが少ないのかもしれない。高校生のころ、修学旅行の行き先について「別にどこでもいいなぁ」と言ったら、家族から「もっとこだわろうよ」と言われた。投げやりな態度と取られたのだと思う。(私としては、友達と一緒ならどこだって楽しいから行き先なんてどこでもよい、という気持ちだった。せっかくなら訪れたことのない所の方が…とか、そういうこだわりは無かった)
また、事によっては丸投げのようになってしまって、他者に仕事を押し付けることになるケースもある。
こだわりません、任せます、委ねますという意思表示はかなり慎重に行わないといけないなぁと、今は思う。
ただ、無理して「自分はこっちの方が良い」と意見を作るのはよくないなぁ。理由もでっち上げるみたいになって、それはそれで誠実じゃない。
なんにせよ、どうでもいいとか手を抜きたいとか、そういう投げやりな気持ちじゃないということが伝わるような言い方、やり方にしないといけないな。想像力を働かせて。
あと、もし自分の意見があったなら、多少険悪になっても気にしすぎず「自分の意見はこうだ、その理由はこうだ」と冷静に述べるスキルが欲しい。こういうのって練習はできない。日々意識して、実践あるのみ。
先日家の中で両親が話し合って居間の模様替えをした。以上は、その成り行きを眺めていて、ふと思ったことでした。
(両者の意見ははじめ違うものだったけど、ギスギスすることなく、何度か家具を動かしてみて、お互いが納得のいった上で、「じゃあこれでいこう」と結論にたどり着いていたので、夫婦の鏡を見ているようでした。まあ子供の前だったからということもあるだろうけども)
*もちろん、大きなお金が動く選択(保険の加入とか家を買うとか)は「なんでもいいや」なんて態度では臨まない。出来る限り情報を集めて勉強して、正しい、これがいいという選択肢を見つけると思う。
*今回みたいなこだわりの話は、だいぶ前にも一度書いた気がする。修学旅行の行き先のくだりなんかとくに、長いお付き合いの読者様方、二回目だったらすみません。
ここのところの散歩道。
土や草の上を歩くのは気持ちいいです。
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