暮らしの中で思うこと

絵中心のブログ。簡単なイラストや、たまに動物のスケッチを描いています。

休日の行動


今日は朝から頭がシャキッとして、前から放置していた用事(難しいものじゃないけど、ただ面倒なやつ)を片付けた。続いて掃除もさくさく進んで、良い感じだったけど、ふと、立ち仕事が続いたから少し体を休めよう…と腰を下ろしたら、気がつけば小一時間、スマホで漫画を読んでいた。

朝からこなした仕事の量だけ見ればまぁ頑張ったと言えなくもないけど、なぜそのペースを維持できないのか、なんで無駄にグータラを挟んでバランスを取るのか。(原因は自分だけど、自分の意思としてはそうじゃないので、何か見えないものに対して文句を言いたくなる)

午後3時まではまだ取り返せる。4時を回るとちょっと焦る。4時半を過ぎるともう5時が見えてきて、今日は終了です、という気分になってくる。

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朝のうちに家事をやって、午後からやりたいこと(お絵描きやブログや、甘いものを食べる)をやるのが、理想的な休日の過ごし方です。夕方になったらまたお夕飯の準備などが始まる。

「やりたいこと」が「家事」と「家事」でサンドイッチされているのがちょうどいいのかな。

そのサンドイッチには、前の晩に夜更かしせず床に就き、朝は無理することなく早起きして動き始める、という条件がある。(休日は前の晩から始まっている)




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はてなブログをやってきて


読者登録をさせてもらっているブログで、ときどき、更新されなくなってしまう方がいる。

「そういえば○○さんのブログ最近読んでないな」と思って、読者登録しているブログの更新情報をずーっと遡ってみたら、何ヶ月も書かれていなかった、というふうなことがある。

はてな上で付き合いのある(ブログを行き来し合っている)方々は、誰とも会ったことがない。でも音沙汰がないとさみしい。

事情は色々だろうけど、できれば、ポツポツとでも書いたものを上げてくれたら嬉しい。

大きな出来事がなくても、日常のことで十分で、何を書いてもその人の味は出る。


私は何年か前に、「最近は東京で何してるの?」と近しい人に聞かれて「ブログ続けてる」と言ったら、「なんか暗い感じ」と言われて、それをきっかけに、なんとなく、その後何ヶ月も書かなかったことがあった。

(習い事に通ってます、とか友達と旅行に行きましたとか、そういう答えなら人は納得したのかな)

たぶん今よりブログにのめり込んでいた時で、自分自身が少し疲れを感じていたから、引き金となってしまったんだと思う。

(結局、ある人がコメント欄で、最近更新ないけどお元気ですか、と話しかけてくれて、また書き始めることができた。とても嬉しかった。きっと勇気が要ったことと思う)


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仕事から帰ったらご飯のことをして、あとは好きに絵を描いてブログを書いて…という時代があったなぁ。

(なんでもできる♪と頭では思うのに、実際は仕事の疲れもあって、なかなか、時間を満足いくように使えなかった)




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もどかしい思い


長くて、個人的な(大抵そうだけど)話です。


妊婦という立場から、コロナ対策は徹底してきた。神経質過ぎるかもしれないけど、何年も後になってあれは大袈裟だったね、と笑うことになったらそれはそれでいいし、と。

マンションのエレベーターは長らく使っていない(部屋のある階数がまぁギリギリ階段でいける)、飲食店にもコンビニにもスーパーにも、4月以降行っていない。(これはもちろん一緒に住む家族のサポートがあってのこと)

毎日○○人と報告される感染者数には、うかつに街へ繰り出して遊んでしまった人、大人数でワイワイ飲み食いしてしまった人、不特定多数のお客さんと相対する接客業の人が多いのかもしれないけど、そうじゃなくて、やむを得ない短時間の外出で運悪く拾ってきて発症してしまった人もいるんじゃないかと思う。

自分がいつその立場に置かれるかわからない、という気でいるのが肝心、という心持ちでいた。


里帰り出産にあたり、実家の両親にも、同じ姿勢を期待していた。だけど、どうもそれは難しいらしい。

東京と他県では温度差があるのは当然かもしれないけど、自分の親ということになると、その絶望感は堪えるものがある。

田舎の町だけど、これまでにわずかながら感染者が出ている。それを言っても、「よっぽどの行動をした人がかかるんでしょう」という返事。かかる人と自分たちは行動が大きく違う、という考えだ。

親のスタンスはこうです。

リスクを0にはできないんだから、気をつけながらほどほどにふつうの生活をする。近所のスーパーはもちろん、贈答品など必要な買い物があれば電車に乗ってデパートにも出かける。

外出時はマスクをして、顔には触らないようにして、帰ったら手洗いうがい。

ただ私から見たら、「その外出必要かい?」「もっと家に篭れるでしょ?」と言いたくなることが多い。リスクを0にできないと開き直るんではなくて、限りなく0に近づける努力をしてくれないかな、という気持ち。

なんか、ちょっとヒステリーを起こしてるのかもしれない。(コロナにかかったら…一応高齢者だし…と親を心配する気持ちよりは、これからそちらに行く自分とお腹の子のために用心してほしいというエゴが強い。)

ただ親子なだけで、他者同士。意識の違いは当たり前と思った方がいいのかな。それでまずは、裏切られたような気持ち、自分の体の一部が思うように動かないような苛立ちは無くしていくべきなんだろうな。

傷つくのも苛立つのも、「自分の気持ちを汲んで動いてくれるべき存在」という思い込みから来ている。

「そうじゃなくてこういう考えを持ってよ」と電話口で強く言うのも、困らせ傷つけたかと、あとから苛まれるのもまた辛い部分で、なんだかもう、いっときはとてもしんどかった。


こんな個人的な小さなウニャウニャは、別にニュースにもならないだろうけど、コロナはこういう問題も連れてくるんだな。

(問題の質的に、いつかこの先の人生でぶつかったことであろうから、これをもって「コロナのやつめ…!」とは思わないけど、妊娠中は心穏やかに過ごしたかったなぁ。)

自分が妊娠していなければ、今頃はふつうに通勤していたはずだし、たぶんもう少し余暇も楽しんでいたと思う。人出を伺いながらも買い物に行ったり、家の近所でなら旦那さんと外食もしたと思う。

少なくとも今はコロナとうまく付き合っていくしかないので、(うちの両親のように)できる限りの対策はしつつも、過剰反応することなく、なるべくストレスフリーに普段の生活をするのが良いんだろうな。

(かつて緊急事態宣言下で巣ごもり生活がたけなわの頃、一般市民大勢が徐々にストレスを募らせているらしいことは、なんだか別の悪いことが起きそうで不安だった。)

ただ、今この身体は私一人のものではないということ。専門家にもわからないことがまだ多いようだから、漠然とした不安が拭えない。

コロナを念頭に置いての生活には慣れたつもりでいたけど、こうして考えてみると、改めて、厄介なことだなぁ。

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(最近おやつにバームクーヘンを食べた。温かい紅茶も淹れたけど、一口もすすらずバームクーヘンを平らげてしまった。甘いものはゆっくり食べられない。)




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すぐ焦る②


前回の続きです。なんでも前もって前もってやろうとしてしまう性分について。

でも、ここ5年くらいでだいぶ変わってきた、という話です。

まず待ち合わせには20分も余裕を持っていかない。

たとえば友達と11時半に待ち合わせの場合。(休日の都内だと12時にランチのお店を探し始めると難民になる可能性があるので半に落ち合うことが多かった)

朝起きて化粧をしてゆっくり服を選んで…と午前中いっぱい身支度にあてられたのは、時間と体力が潤沢にあった時代で、年々、仕事で疲れて休みの日はギリギリまで寝たい、とか、結婚して以降は一人じゃないので、家を出る前に掃除をしようとか、そもそも必要以上に早く家を出る理由を旦那さんに説明できなくて(ここに書いたようなこと、うまく言えないし、言っても、え、なんという時間の無駄…というリアクションが返ってくるだろうし)、結果、常識的な時刻に着くように行動するようになった。(※1)

社会人生活が長くなって仕事がこなれてきたのも大きいかもしれない。

仕事では、日々タスクが捌けて積み上がり捌けては積み上がりするので、一旦全部キレイに片付ける、ということが少ない。

常になにかを抱えた状態、その中で優先順位をつけて、締切の当日に仕事を片付けることも普通で、その都度極端に疲弊したりしなくなった。

ギリギリだろうがなんだろうが、ちゃんとしたものを期日中に差し出せればいい。

そんなふうに、いろんなことに対して必要以上に早く手をつけないで、最小限のエネルギーで対処するのに少し慣れてきたと思う。

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これは考えてみれば大きな変化で(変化の幅は小さいけど、変化した部分が大きくて)ちょっと自信になった。

今はコロナで色々停滞しているけど、この先も基本的になにかを抱えながら走る日々になるだろうからなぁ。

まあ今でも、ホームに着いて電車がすぐ来たらなんか落ち着かないし(できれば数分は電車を待ってボーッとしたい)、新しい体温計が脇に挟んでから思ったより早くピーっと鳴ったら「早いわ」と突っ込んだりしているけど。

仕事では上記の通りだけど、家の用事に関しては未だに「早く早く癖」が顔を出すし。

まあ、人が変わったように、中身が総入れ替え、みたいなことにはなかなかならないので、自分を買いかぶりせず、用心深く、生活していきたい。


※1  べつに、家の人には待ち合わせの時間まで詳しく言わなくても、「○時に出るよ」と出発時間だけ言うとか、また嘘の待ち合わせ時刻を言えばいいのかもしれないけど、そういったことがどうもナチュラルにできない。それ自体に神経をすり減らしてしまうので、ありのままを言う選択肢しかない。



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すぐ焦る①


家の用事に関しては、どうも、抱えるタスクが2つ、3つとなってくると、その全部を明日までにこなさないといけないかのようにストレスを感じる性格で、必要以上に早く片付けて、一刻も早く手元をまっさらに、何もない状態にしたいと欲してしまう。

それでカリカリしたり、時にうまくないやり方を選んでしまったりして、疲れている。

それでも、終えられたら満足する。とにかく、早く早く、「あれをやらないといけない」から解き放たれたいのだ。

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何かタスクが舞い込むたびに「今から私がこれをやるんだ!」という能動的な頭に切り替えられたら良いのに、それができないまま、ただ追われ続ける。「穏」「静」に執着する自分のペースを崩せなくて、独り相撲をしている。

人との待ち合わせは、学生時代から、20分くらい早く到着することが多かった。

相手を待たせたくない、もし電車が遅延したら…という思いやりや心配からじゃなくて、焦らずに穏やかな道中を過ごし、待ち合わせ場所でひと心地つきたい。辺りを見回したり、できればぼーっとして、自分をその場所になじませる時間が欲しい。もし相手が先に到着していたら、待ち合わせ場所に着く・移動するという休みのない動きになる。それがなんだか気忙しいのだ。

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旦那さんと昔お付き合いする前、初めて待ち合わせした時に、彼がほぼ時間ぴったり(1分前くらい)に登場し、「この人は私とはかなりタイプの違う人間だな」と新鮮に感じたのを、今でも時々思い出す。



長くなってきたので、きょうはこの辺にします。続きはまた近いうちに。



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エアコンの話


このところ、夜寝るときはエアコンを入れている。

朝起きて寝室を出ると、むあっとした空気が押し寄せてくる。寝室が涼しかった分、その格差に一瞬「うぃぃ、暑い」と思うんだけど、すぐに慣れる。

日によりけりだけど、朝のリビングの温度は28〜29℃、湿度は70%台後半。

エアコンを入れても良い温度と湿度だろうけど、朝ごはんの準備で台所でガチャガチャやっているだけなら全然平気だ。それより夜の間に部屋にこもった空気を入れ替えたくて、ベランダに面した窓を網戸にして、換気扇を回す。で、旦那さんを起こしに行く直前にエアコンをつける。

一時間後くらいに旦那さんを送り出してから、いったんエアコンを消す。(つけたり消したりしないほうが経済的と聞くけど、多少は外の熱気を肌で感じたいのと、自分が「暑いなぁ」と思ってからつけたい。そういうわがまま。)

いったん60%台まで下がった湿度は、エアコンを消しても急激には上がらない。きょうは正午を過ぎて温度が30℃を超えても快適に仕事ができた。

30℃ってこんな快適だっけ?と自分の感覚が疑わしく思えてきて、妊婦だしな、と用心して、午後1時くらいにエアコンを入れた。


子供の頃、関西の実家では、真夏でもエアコンは昼間の数時間しか使わなかった。

(お昼食べる間だけちょっと涼しくしよか、という感じ)

基本的に一日中そこらじゅう窓を開け放して風を通している。エアコンを使うときだけ家族総出であちこち閉めて回り、切ればまた開けて回った。

ここ10年は東京のアパートやマンションで暮らしてきたけど、そうはいかなかった。

朝から晩まで…ではないにせよ、エアコンを昼につけたら晩までそのまま、ということが多かった気がする。

実家は山がちな所にあり一戸建て、こちらは機密性の高い集合住宅、という違いは大きいのだろうけど、年々増していく危険なほどの暑さのせいもあると思う。

一方で、汗をかく習慣もいくらか身体にとって必要なことで、とくにコロナで巣ごもりしている立場では、暑さとの程よいお付き合いが難しい。


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鹿の親子。お盆休みを使って仕上げました。



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思い出グッズ


家の中にある私個人の持ち物は、大きく分けて3つある。服と文房具、そして思い出グッズ。

前ふたつ、服と文房具は必需品であり消耗品だ。(文房具は筆記具やレターセット、スケッチブックなどのお絵描き用品を含む。)どちらも揃えるのが楽しいので、持ちすぎないようにしないといけないけど、使っていればヘタレていく・減っていくもの。

だけど思い出グッズは増えていく一方で、どうしたらいいのかなぁとときどき悩む。もらったお手紙類、写真や昔の日記、描き溜めた絵。

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手紙は、ざっと10年分以上。上京後に親や友達からもらったものと、結婚前に旦那さんからもらったものなど。

懐かしいし、面白いし、気づかされることもあるので処分できない。ただ最近はせめて増えるペースを落とそうと、親からの荷物に同封されるメモ程度のものは読んだら捨てるようにしている。

日記は個人的なものなので、手紙に比べると未練なく捨てられそうな気がするんだけど、読み返すと懐かしいだけじゃなくハッとさせられることがあったりして、残してある。万一人に見られたら本当に恥ずかしい、と思うページ以外は。(どういうものか、うまく言えないけど、高校生のときに書いたやつはなんかすごく恥ずかしくて読めたものじゃない)

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写真はまぁ、この時代はデータが主流で、現物で増えていく傾向にないし、今あるものはとっとこうかなぁと思っている。

そして、一番のペースで増えているのが、描いた絵たち。スケッチブックだけで5,6冊になる。サイズがバラバラなので収まりも悪い。

はてなブログを始めてから描いたものが大半で、だからデータの形でパソコンに保管はされてるんだけど、大体残してある。

描いた絵を捨てるのなんか、誰かに対して申し訳ないこともないし、自分の判断一つなんだけど、何だか捨てられず。

まぁ結婚後は描くペースは落ちたし、子供が生まれればなおのこと描かないだろうし、まぁ現状維持で行けばいいかな。


(文章にしたら何か解決策を思いつくかと思ったけど、そんなことはなかった)


ところで思い出グッズたち、捨てられないと言いつつ、見返すタイミングって、はっきり言って大掃除とか整理整頓するときだけ。

たまに見る、その距離感が良いのかな。(日頃から過去に浸るのはあまり良くないのかもしれないな。)



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